※新型コロナ、コロナでタップリと頂いた時間、も~う参ったよ、こんな独り時間は要らないよ!
過去に使ったブログのトップ画像(2009.05.13撮影)
(田植えが終わり雨期を待つ田圃の苗)
新型コロナの感染当初は、いい案配で三密が防げるよって都合良く考えてたんだけど、こと現実の重大さを鑑みると、何たってジッチャマには、これに合わせた訳はあるまいが雑務が多すぎる。
コロナ・コロナと言えども都心と違い田舎では、それ程までの緊迫感がないんだよ。
現実的に感染者が百人足らず(新潟県は81人だったかな?)だから、そんなに大騒ぎすることないんじゃないの?って感じなんだよね。
いや、だからといって「緊急事態宣言」を軽視してるわけじゃないんだよ。
守ることは、発せられたルールは要請に従って完璧にだ。
こんな異常事態の時には、ふとまた脳裏を横切る「賢者の教え」・・・・・・・・。
かれこれ10年も昔の話になるようが、ふと思い出したんじゃよ。
ちょっと調べてみたんだが、あれは2011年4月9日に綴った戯言。
どうでしょう?人間は生きるか死ぬかの一大パニックの中で、どういう選択をするのか?
当然、現代という時代背景の中だから、この時代で育った若年層は、こんなのは時代錯誤、何を戯言を言ってるんだ!と、吐き捨てられるのかも知れない。
だけど、一生に一度、百年に一度あるなしの世界大戦級の巨大パニックが起きたとき、そんなの陳腐だとは吐き捨てられまい。
生きるか死ぬかと選択肢を迫られたときに、どうするのか?
今回の新型コロナ問題で人間も持つ本質、生骨頂が見て取れた。
こんな時、生きる条件は皆同じなのに、あれこれと言い訳をして、傍若無人な振る舞いをする奴らは許せない!
そう、日頃は全く無関係だった義務をそこに置いて、権利だけ主張するもの。
こんな局面にこそ、この「賢者の教え」は多くを語る。
「日本人だからできる」の精神は信じたいが、昨今の「幸福呆け」を見ていると、厳しい法的手段も必要になった証かもね?