牧之庵の周辺では、8日の立冬を前に庭木の雪囲いや、越冬用の漬け物材料の収穫が始まった。
晩秋の空には、夕焼けに似合いそうな秋雲がゆっくりと流れて行く。
暮れゆく秋の穏やかな光景だ。
朝起きると、青々と生える苔の上に、既に紅葉を終えた先走りのブナやカエデの落ち葉が散在する。
毎日の日課だった草取りも用を終え、90歳を過ぎた母親が、よくも飽きずに掃除する。
日毎に増してくる落ち葉と、根比べをしているかのようだが、これとて省くことの出来ない大切な朝仕事の一環、大いに助かっている。
腰が曲がって、耳は相当に遠くなったが、この歳になっても、マイペースで黙々と体を動かしている。
天気が良ければ、必ず外で何かを見付けて作業をしている。
動いているから、食欲も旺盛で量こそ少なくなってしまったが、晩酌に促されて差し出すビールを旨そうにコップ一杯飲み干す。
この家に嫁いで、直ぐに夫は戦地召集、姑や小姑等の女手一つで過酷な農業を切り盛りしてきたこの年代、質素で慎ましく過ごしてきた。
だから、多少の事にはビクともしない。筋金入りの心身と忍耐だ!
よく思う「俺がこの先、30余年後.....、生きることすら出来まいが、間違って生き延びたとしても、あの様に動き回れる事は絶対出来まい」と。
今日も畑で、大きな声で歌を口ずさんでいた。
耳が遠いから、自分では気付かない様だが、音程なんて何のその、人が居ようが、誰が呼ぼうと、お構いなしの我が境地だ。
まったくマイペースで自分の世界。この歳になっても、眼鏡も掛けずに新聞を読み、毎日欠かさず日記を書き続ける。
こんな商売始めてから、困ったことがある。
別に、恰好付けるわけではないが、作業衣の出で立ちには閉口する。
黙っていれば、気に入った衣装は洗濯しながら1ヶ月も着続ける。
子供等から切り尽くせないほど買って貰ってあるんだが、女っ気が無くなって気が付かないのか、勿体ながって着れないのか、ババや孫たちに「お婆ちゃん、そんなの着なくったって、いっぱいいいもんがあるでしょう。
着ないでみんな捨てるようになっちゃうよ」、言われて「ああ、そうだない、こんど着ようかない」、返事はするが、翌日の衣服に変化無し。
頭には、木綿の手拭いでほっかむり・・・・・・。どうしょうもねな、言ったて無駄なこった。
畑で草取りなどをしていると、偶にお客さんが物珍しく近づいていく。野菜のことや、近くで目に入った様子を訪ねるらしい。
耳が遠いから、時々お客さんの大きな声のやり取りが聞こえてくる。それはそれで、田舎の蕎麦屋の素朴な光景だから結構なこと。
ただ、出で立ちがいただけない。すり減った様な手拭いの「姉さんかぶり」に、チグハグな衣服を纏ってのマイペース振りには、はてさて参っちゃう!
牧之庵にお越しのお客様で、腰の曲がったご老体をお見掛けされた方もおられることでしょう。
耳が遠いから、人の気配は、目だけでしか確認できないから、平気で人様の前に出ていく事もあるんです。
自宅でこんな商売を始めてしまった僕に責任があるんですが、目障りや、御無礼の程は御容赦いただきます。
正直なところ、こうして商売をすることが出来るのも、高齢にも増して健康で居てくれることが有り難く、感謝しているってのが本音です。
はて、その母親だが、牧之庵を始めてから、結構本人も張り切って楽しんでいる様だ?
健康で長生きできてるのも、長男が授けた「適度の仕事」、これも親孝行かもね?
親が親なら、子も子だね〜、実のところは、どっちもどっちだ?