今朝、牧之庵の前の流れを掃除していたら携帯に電話が入った。埼玉の川崎に住んでいる僕の友人からだった。多摩川の河川敷を愛犬と一緒に散歩中らしい。
何でも、彼の無二の親友が亡くなったとのこと。末期癌だったんです。
亡くなられた親友は、数年前に彼と数人の仲間で牧之庵にいらしゃった事があります。既に末期癌であることは告知されていて、本人も余命幾ばくと、医師から知らされていたんです。「死ぬ前に冥土のみやげに長岡の花火を見せに連れてきたよ」と、癌患者の本人の前で、何隠すことなく平然と僕に説明する友人に対して、その時は返す言葉を失いました。
しかし、普段と変わりない会話と屈託のない様子に「この彼が末期癌で余命までしらされている人か?」と信じられないような光景でした。僕だったらどうだろうか?後数年で死ぬと言うのに、こうも平然と構えておれるんだろうか?いや、僕には出来ないだろうなあ〜。
連れの友人みんなが、何の気遣いもなく、全く普通の会話、冗談、笑い、突っ込み等々。
後になって考えたら、この平然の付き合いこそが、死を目前にした真の友情の証なんだなあ〜と、思えるようになりました。普通であれば、会うのが辛くて疎遠になりがちですよね〜。それが全く逆、「オイ!後何日も生きられないんだから、せめて生きている中ぐらいは付き合いよ」ってな感じなんです。本人は犯されている躯が時々痛むんでしょうね?辛いときは横になるんです。何の気兼ねもしないで当然のように。彼らも素知らぬ素振り。この関係が、患者の精神状態を紛らわしてくれているんだろうね。
告知されてから、暫く生き延びました。そして先日の旅立ち、彼も、「暫しのお別れに行ってきたよ」だって。
故人は歌が好きだったそうで、彼は生前に賛美歌や好きな音楽を300曲もCDに入れて持って行ったんだそうです。後で妹さんがおしゃられたそうです。「兄は死ぬ間際まで楽しんで聴いていました。有り難うございました」と。真の友情ってこういうもんなんだなあ〜と、つくづく思い知らされました。
彼と僕との出会いは、17、8年も前のこと。彼は中堅ゼネコンの課長クラス。当時、湯沢町を中心にリゾートマンションの建設ラッシュで、彼もあるマンション建設の現場所長として赴任していた。バブル期も末期にさしかかった頃の事です。2棟のマンションの責任者でした。僕も地元のゼネコンに勤務していましたので、何度かお会いしているうちに気心が合ったのです。歳が同い年と言うこともあったんでしょう。
いつの間にか、元請け、下請けの関係は忘れ、同年代の気心のあった友人関係になっていました。
近くの、あるマンションの建設計画が浮上し、彼の会社が受注することになったんです。とてつもない大型マンション。施工計画段階から完成まで関わらせていただきました。まして露天風呂と外構工事に至っては、彼と僕の設計施工でした。結果的に、お買いになって、実際に使われているお客様に喜ばれる仕事が出来たんだと自負してます。
その彼も、僕が牧之庵を開業する1年前に退職、今では、自分で会社を持って頑張っています。
その付き合いが今でも続いています。彼も成功して数年前に自分で携わったマンションの一室を買い求めたのです。
会社の保養所として有効に使っている様です。
温泉付きで素晴らしいマンションです。僕はスペアキーを預かっていて、何時でも温泉に入れて貰っています。
牧之庵には、会社の社員が遊びに来たときは、必ずと言っていい程顔を出してれます。
人との出会いは不思議な縁、有り難い事です。