今朝、神奈川の海老名から家内の姉夫婦が来られた。本当は先週来る予定でいたんだが、定年後に勤めた会社の社長の母親がなくなられて、出発間際に連絡が来て、車から積み込んだ荷物を降ろしての慌ただしさ。旦那さんは国内最大手のガラス製造会社に勤務していたが、数年前に定年退職した。現在は、以前面倒を見ていた専属の下請け会社に技術と人間性が見込まれて、再就職。その会社の中国の進出会社に何回目かの技術指導が終わっての骨抜きに来る矢先の不幸だったらしい。一段落して、今日になったのでした。近日中にもう一回行かなければならないらしいんです。社長が若いらしく、何でも、技術屋が育たないらしいんです。65歳にもなって、どうして定年後の人を頼りにするのか?単純に疑問ですが、要は、特殊技術を習得する後継者がいないと言うことなんでしょう。日本の元会社がこれだから、まして中国の人にその技術を指導するなんて、至難の業でしょう。ガラス業界に限らず、あらゆる業界で本物の業師が消えている。「ものつくり日本」も自国の足下から「匠」と言える言葉が無くなりつつあることに、一抹の不安を憶える。そして、日本の伝統とも言える「技」が国内で育たず、簡単に他国に流出し、そこで育み定着する。生き延びるためには手段は選ばない。何から、何まで・・・・・・・・。そば屋の親爺は目先のことが心配だ。割り箸が無くなる、ものすごく高くなると言うような報道がほんの数日前に流れた。国内の割り箸産地は中国産に飲み込まれて、実際生産している昔の産地はほんの一握り、それも採算が取れずに、やっとの思いで維持しているらしい。
失礼します。そば打ちの時間です。また後で。