☆理解できない?お墓と仏壇の関係?
僕は、宗教や信仰は個人の心の問題だと思っているんで、理論づけようなんて殊更ないし、そんなことナンセンスだと思っている。
でも、どうしても理解できないことがある。
年中行事は、昔からの生活習慣から、仏教行事に変化し定着してきたと考えられますが、それにしろ解らないことがいっぱい?解らないことだらけ。
例えば、お墓と仏壇の関係、お盆は、墓地にお参りに行って、ご先祖様をお迎えに行き、盆中は仏壇にお供え物などをして供養します。
ということは、ご先祖様は、お墓にはいらっしゃらないで、それぞれのお家の仏壇(家)にこられるから、仏壇にご馳走やお供え物をして感謝し供養する。
お盆が終われば、お盆明けに送っていく。そこまでは解るんです。
しかし、お彼岸は墓地にお参りに行くが、特別お迎えには行かないんでしょう?
ということは仏壇(家)には来ていらっしゃらないって事なんかね?
でも、彼岸中(7日間)は特別行事でご馳走やお供え物でおもてなしをしますよね?というこは、来ていらっしゃるの?
ああ解らない?理屈を言ってるんじゃないんですよね。ただ、理解に苦しんでるって事なんです。
ちょっと失礼します。
中断です。昨日の様にトラぶって消してしまうと大変なので、取りあえず送っておきます。
☆お彼岸てなんなんだ?
僕が、ある知人の手を借りて初めてブログの世界に入ったのが3月10日。10日も経たずに「春の彼岸」入りでした。
暑さ寒さは彼岸まで、っていうけれど今年の春は遅かった。
彼岸中日(3月21日の春分の日)は、小雪舞う寒い日でした。お彼岸の時期は、春秋に問わず、昼夜の長さが同じだって事。
春のお彼岸の頃は、寒い冬も終わって、これから暖かい時期に向かいますよ、ってこと。
秋は、暑さはこれまで、これから寒い時期に向かいますよ、ってことなんですね。
お彼岸は、暑くもなし、寒くもなしの凌ぎやすい時期なんですね。
でも、雪国の僕達からみれば、春のお彼岸は「暖」、秋は「寒」です。
陽と陰、明と暗、お彼岸はその分岐点で中間地点です。
僕達にとっての「お彼岸」とは、季節では「中間時期」、人としては「充電期間」かも知れませんね。
そして、先人は、丁度いい時期に、「お彼岸」を持ってきた。
言葉の意味がどうあれ、宗教上はどうあれ、これから変わろうとしている「この時期」、体制を整えて頑張って行こう。
一旦立ち止まって、この世に生あるを感謝し、今日ある自分を先祖様に感謝し、この7日間は、心穏やかに良いことをしよう。
そんな時期かも知れませんね。
ご先祖様を感謝することによって、より人間らしく豊かな心を養うための「修練期間」なんかね?
生を受けて死ぬるまで、後戻りの出来ない時間、引き返す事の出来ない人生ならば、彼岸(この世から対岸の悟りの世界)到達まで人として、人らしく生きるって事なんだろうね?