断片的な報道から、事の全貌を見極めることは難しく、そこから一傍観者が事の善し悪しを評することが果たして妥当であるかは定かではないが、ふと報じられる内容から覗いてみる限り、これもまた、人が成した現実かと、他人事でない一面を垣間見る。
報道機関が、挙って目新しい情報を貪り、ある一面だけを捉えて誇張したり、嘘のヤラセで視聴者を誤魔化したりは、某テレビ局の虚偽の「納豆」問題が物語る。
今日もまた、テレビのチャンネルを回せば、夕張市の財政破綻、伊勢崎市の観覧車騒動等々を挙って報じていた。
夕張市は結果であり、伊勢崎市は過程の話だが、何れにしろ、そこに至った事情があってのこと。
行政は市民が選んだ議員が司り、市役所で働く専門職(公務員)が携わる。
職員は別として、市長も市民が選択した人だとすれば、事の成り行き、結果の善し悪しは別にして、要は市民の総意に依り行われていると言うことだろう。
夕張は夕張、伊勢崎は伊勢崎、特別にマスコミが騒ぎ過ぎる必要はない。
ネタからすれば美味しいが、過度に騒がれては市民が惨めになるだけだ。
時に人は、完璧ではない。
時に人は、時代背景と時の流れの中で、錯覚もするし、幻想に溺れる、惰性も付き物だろう。
結果は結果であって、その当時は、それなりの計画があって行政が行われたであろうし、職員も市民の大半もそれに従って来た訳だから。
今ここに至って、破綻の責任を追及してもどうしようもないのではないか?
それよりも、これから先、苦境にあえぐ住民達が絶望感から奮起して、頑張っていかれるような応援歌(報道)ができないものか?
夕張の住民が絶望感から職を捨て、故郷を捨てて去る様を見るにつけ、人として忍びない。
大手銀行が破綻して、国政が援助の手を差し伸べた様に、こういう時にこそ、政治が最大限の援助と指導をすべきではないか?
無論、市民は破綻責任は自分たち一人一人にあると自覚反省し、死にもの狂いで再建に努力しての事だが。
悪戯に、責任追及してみても建設的な方向には進まない。
先導者が駄目ならば、真の行革をして、入れ替えれば良いことだ。
逃げ出す者は負うべからず、無理に留めても、この先使い物にならないだろう。
それを責めるべきでもない、人それぞれだから。
伊勢崎の観覧車騒動も同じ事だろう。これから先は、市民が決めること。
ここまでの詳細の過程は知る術もないが、報道の問いかけは、それなりに価値があったのかも知れない。
結果的に方針が変わらないにしても、市民の行政に対する関心は倍増しただろうから?少なくとも、夕張の二の足は踏まないだろうから?
我が家の孫は、メロンが大好き。メロンと言えば、「夕張メロン」。
あれだけのブランドを作り出したんだから、元気を出してみんなで頑張って再建して欲しい!
僕の母親は90歳、娘の頃は伊勢崎の「上毛撚糸(株)」とかいう会社で働いた事があったそうだ。
今でも、「伊勢崎友の会」というOB会が存続し、以前に近くの温泉宿で会合も開いている。
観覧車が悪い訳でなし、「伊勢崎といったら観覧車」、そう言われるなら夢がある。
暗い話ばかり先行する現世、市民総意でシンボルにして頑張ろうと言うのなら、10億円だろうが高くない。
但し、報道に惑わされて挫折するようでは、無理してるな?と思われても仕方なし。
お国の金を有効に利用するのも結構な事じゃないの、人様にとやかく詮索される筋合いはなし、ほんとに必要ならば、寄付を募ってでもやってみたら?
ちゃちな蕎麦屋の親爺の大口、叩ける内は健在なりか? ドンマイ、ドンマイ、書き捨てご免。