昭和40年8月13日
長岡(急行日本海)21:51発 青森発大阪行きに乗り換えた。
お盆の帰省客で、すし詰め状態の車中、Tシャツにジーパン、サンダルにリョックを背負っての出で立ち。
始めからデッキでの出発だ。 直江津0:33(8/14)−富山3:00−福井−大阪10:00着
大阪(急行さつま)11:12発 鹿児島行きに乗り換え
広島16:43−下関20:54−博多22:50−大牟田0:23(8/15)−熊本1:27−鹿児島5:558月15日・5時55分、車中2泊掛かって最南端鹿児島まで来たる。
今から思うに、列車での九州までの旅は、大変だったんだな〜と思う。
新幹線なんか当然ない時代、特急列車もなかったんじゃ?
早朝、鹿児島に着いて、桟橋から7:00の船で桜島(袴腰)に渡った。
友人や自宅に手紙を書く。
]大望の鹿児島だ!
[
・・・・今桜島に着いたところです。これから観光バスで桜島めぐりです。考えていたより涼しいので最高・・・・今日桜島を経て夜までに宮崎にでる予定です。桜島の煙が高々と私を迎えてくれました。こちらは、最高の調子ですので安心してください。では又 旅先にて(桜島駅)
早々に観光バス(桜島めぐり半周コース)で桜島めぐりだ。
最近の桜島、当時は黒煙をあげていた
旅日記
桜島の記・・・・・(S40.8.15 旅日記より)
桟橋より、フェリーボートで桜島に向かう。
桜島には8時頃着いただろうか?振り返って見る鹿児島港は印象的な光景だった。
袴腰港に着いて、かなりの時間があるので、絵はがきを買って手紙を書くことにした。
袴腰発9時半の桜島めぐり国鉄バス半周コースで九州路の第一歩が始まった。
詩の島、夢の島、火の島として有名なこの島、まさに東洋のナポリである。
怪異の姿の溶岩原、あの黒煙・・・・・無数無限の溶岩は背景の雄大な桜島とマッチして我々をより吸気し、昔の面影を残し、火の島としての誇りを持っていた。
古里温泉の林芙美子文学碑「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」を見学、バスは桜島口(養魚場)へと向かう。
ここを終点に、もと来た道を引き返し、袴腰へと向かうが、僕はこの先の予定があるため、唯一人ここで降ろして貰う。
国分に行くためだ。10:46の国分行きの国鉄バスに乗る。
桜島の光景を胸に秘めて第一路桜島のページを閉ざすことができた。
桜島(養魚場前)10:46発 国鉄バス→国分11:30着 14:04発 電車→宮崎16:19着
宮崎駅前の新州旅館にて三日目の夜