40年以上前のスクラップブックを紐解いて
時代はまだ、新幹線なるものは勿論のこと、特急列車なるものもなかった時代、JRの前身、日本国有鉄道「国鉄」時代にさかのぼる。
一人のやせっぽっちで、ちょっぴりキザで、その当時流行の角刈り(潮来刈)にした、どう見ても高校生らしき若者が、お盆のぎっしり詰まった帰省列車に乗っていた。
昭和40年8月13日のことだった。
行く先は、九州だ。身動きできないほどのラッシュで、デッキまでいっぱいの帰省客だった。
そう、もう40年以上も前の出来事だ。
高校3年の夏休みを利用しての「九州路ひとり旅」。
実はこの学生、半年以上前から九州一人旅を計画し、授業中でも、行程計画を作成し、時刻表とにらめっこ、学割と周遊券を利用しての12泊13日の行程表を練り上げた。
さて、行程表は出来上がったが、先立つもの(旅費)の調達。
夏休みに入るや建設現場のアルバイトに精を出した。
真夏の炎天下、慣れない土木作業に身を投じ、今日はコンクリートミキサーでコンクリートの混合、明日は、40キロもあるセメント袋の運搬作業にと、高校生としては、過酷な労働に夏休みの大半を使った。
出発予定日の間際まで...........。
しかし、バイト料は1ヶ月遅れの支払い、とりあえずの旅費と不足分は、親からの前借金だった。
さて、準備万端、いよいよ出発の8月13日、塩沢駅15:00から上越線各駅停車で長岡駅16:47まで、
長岡(急行日本海)15:09青森発大阪行きに乗り換えた。