こんな田圃のど真ん中で蕎麦屋を5年も営んでいると、方々からいろんなお客様の声が聞こえてくる。
ある時には、ソバやツユに関する評、お客様の対応からのお小言、店の場所がわかりづらい等々、個別の面から、店全体の事まで様々だ。
近年はメデイアムが多彩で電波に乗れば瞬時に情報としてキャッチされる。
良い面も、悪い面も待ったなしで面前に晒される。
僕のような素人で愚才者まで、やれパソコンだインターネットだと悪戯する世界、こうしてブログなるもので戯言を綴っているご時世だ。
旅に出れば、その先の食事のこと、お店のこと等々を素人の目線で、好き勝手に書きまくる。
無論、自分からの目線、好みの世界なので、それを見て他の人が試行したとしても、まったく逆に感じ取る人もいるだろう。
それはそれで仕方のないことで感性も嗜好も人それぞれに違うからだ。
だからこそ、店の大小、お客さんの入り具合は様々でも、それなりの営業ができるって事だ。
向学のためにと、牧之庵に関する記述を偶に覗いてみる。
吾こそはと、その道の通と自称自認する作者が現れ、「あれ?其処は何処かいな?」と感心させられる様な巧妙な語り口で評される。
ある人は辛口であったり、またある人は当惑する程の語り口でほめまくる。
辛口評価なら、それを見て来てくださるお客さんは、それ程の期待を持って来られないだろうから安心するが、誉めっぱなしはまいっちゃう。
過大評価で紹介されると、お客さんの期待が先行して「何だ!こんなもんだったんか?」と、がっかりされそうだからだ。
そう、既成概念との比較になる。
日頃、やれ新聞に雑誌、テレビ等のコマーシャルをと、メデイアからの勧誘が頻繁だ。
今日も携帯サイトからインターネットへのアクセス専門業者が営業に訪れた。
溢れるほどの情報源、出す方も利用者も選択肢が多すぎて当惑する。特別な事がない限り、一切をお断りしている。
「家では、当方からの積極的なコマーシャルは一切しない方針です」と低調にお断りしている。
それでも、例年に比較して、客足が極端に落ち込むと一時は不安に陥ることもあるが、時間の流れ、偶然の流れだと悟らせ、自分等の流れに身を任す事にしている。
「お客様の目線で、手抜きせず、初心忘れず、常に精進」をモットーに頑張ってはいるつもりだが、所詮人間、正直言ってぶれることもある。「商売は時の運」と、どっしり構えて居られればいいんだろうが、そう簡単に一括りにできないのが現実だ。
それでも、目の色変えてまでアクセクしなくてもすむのは「セカンドライフ」の贈り物、一線を退いた者の成せる事、働き盛りではそうもいかない。
アクセルはゆっくり踏んでのスローライフ、訪れてくれるお客様と一緒に、セカンドライフをスローペースで走っていけたら最高なんだが。
些かの癒しをご提供できたり、自分等も癒されたりで・・・・・・・・贅沢かいね?