昭和40年8月17日
南延岡の駅の近く「平坂旅館」で朝を迎える。
九州旅行を思い立った理由の一つに当時文通していた友人に会うことが大きな目的だった。
中学2年生の時に、「中学二年コース」という学生雑誌に作文を投稿した。
どういう風の吹き回しか、ひょんな事で「特選」になって紹介されたのだった。
「切れないバリカン」というタイトルだったが、当時は、親爺が僕と弟の頭髪をバリカンで坊主頭に刈っていた。
そのバリカンが切れなくて(腕も悪かったかも?)時々、髪の毛を挟み込みんで痛いのだ。
その様子を作文に書いてのだったが、その記事を読んで、当時は相当数の手紙を貰った。
その中の一通のペンフレンドが、南延岡に住んでいられた友人だった。
文通は、高校三年生頃まで続いたんだろうか、定かの記憶は薄れたが、同年代の女性の人だった。
8月16日の夕方、宿に着くや早速、彼女の自宅を訪問した。
明日(17日)、彼女が別府方面を案内してくれるという。
翌17日、再び彼女の家を訪れる。
自転車を借りて、二人で南延岡駅まで走らせた。
南延岡(急行フェニックス)から別府駅に13:00頃着いて、「高崎山と地獄めぐり」の観光バスに乗った。
ひとりぼっちの旅先、こんな遠く離れた九州の友人に会えるなんて・・・・夢でも見ているようだった。
いろんな話をしながら、楽しい別府観光ができ、貴重な思い出ができた。
別府の記・・・・・・・(昭和40.8.17 旅日記より)
血の池地獄
別府・・・・そこは温泉豊富な地だった。
あちこちに白煙をあげる湯煙、さすがに日本有数の温泉地だけはある。
今日は彼女と一緒なので楽しい別府めぐりができた。
別府駅前に手荷物を預け、観光バスの案内所を訪ね、チケットを買った。これより別府の観光めぐりである。
別府観光の花形、自然動物園に高崎山の野生猿と対面。
鶴見地獄、海地獄、血の池地獄等の地獄めぐり。楽しい思い出を胸に別府の旅も終わった。
彼女は17時頃の急行フェニックスで帰って行った。
さて、彼女が去り再び、ひとりぼっちになったのかと、心寂しくなった。
今日は、別府に泊まる予定だったが、計画を変更して次の目的地に急ぐことにした。
別府と彼女に別れを告げて・・・・・・・
別府18:14(日豊本線)で大分19:02着 豊肥本線で豊後竹田20:19着 初めての野宿、駅舎で寝かせて貰うことにした。
腹が減ったので、駅前の食堂でラーメンを食べる。
その旨かったこと。
混雑しないところをと思って降りては見たが、ひとっこ一人いない。ほんとに田舎の駅、駅員さんも居なくなる。
「ひとり旅ですか?どちらから?風邪を引かないように、戸は閉めておいてください。
誰も居なくなりますから」。戸を閉めて、電気を消して出て行かれた。
真っ暗闇、どれ程眠ったろうか?
蚊に刺されて目が覚めた。
外はほんのりと明るくなってきた。