☆昨日(18日)は、とんだ「彼岸入り」
彼岸に入って、我が地方は朝から雪で、終日雪降りの「彼岸入り」となった。例年、3月の第三日曜日は、当集落の区の総会(春会といっている)と決まっている。そんなわけで今年も十時から集落の公民館に集合。平成18年度の決算報告、事業報告と続き、新年度の予算案、事業計画案等が審議される。農村集落だから、農区(農家の行政区)と、区の行政の二つの報告が、それそれの担当者(区長、農区長)によって報告され審議する。非農家は2軒ほどあるが、農村地帯のちっちゃな集落なので総会は同時に開かれ、区長が総会の進行を任される。会計年度は、官庁に準じて3月31日、遅くとも、お昼頃までには会議は終わり、随時宴会に入る。会議の終了時間を見計らって、事前に注文してある酒の肴が届けられるのだが、予算は例年を参考に「盛り込みの折詰、刺身、昼食の赤飯か生寿司の折詰」が個々に配られる。1ヶ月前に選考されている新年度の区長、農区長、他役員諸侯が正座に座り、新区長の乾杯の発声で宴会が始まるのだ。18年度(旧役員)の事業もこの総会が最後に後日新旧の引き継ぎが行われ、4月1日から新区長のもとで新年度体勢で始動する。
そんなわけで、この日は牧之庵の親爺も店には出ず、準備だけしてババに任せて出掛けるのだが、今年は牧之庵の助っ人(スタッフ)が尽く風邪でダウン、何時ものお手伝いのおばさんも、嫁さんの具合が悪くて出店出来ないと朝に電話が、子供等も孫が風邪のため手伝われないと言うのだ!選りに選ってこんな時に限ってトラブルは生じるものだ!やむなく、会議が終わり宴会に移って間もなく、トイレに行く振りをして、こっそり役員に言付けをして帰宅させてもらった。大体出し終えて、後は何とかなりそうなので、再び公民館に顔を出し仕切り直したら、携帯に電話!「団体さんが来たから直ぐ来て!」ババからの帰宅号令が掛かった。出し終えたら遅い時間、宴会も終わりの時間帯になっている。やむなく、牧之庵で飲み直し。とんだ春の総会、彼岸入りの騒動だった。
☆今年も配分された「中越地震の復興義援金」だが?
昨年に引き続いて「中越地震復興義援金」なるものをいただいた。苦しい区の財政事情の中、思い掛けない区の雑収入に編入され大助かりだ。全国の皆さんから寄せられた、心温まる大切な義援金だ。いただけるものは遠慮なくだろうが、何処で配分したのかは定かでないが、些か合点がいかない?
昨日の春会の宴席での雑談のひとこま、隣に年配の方がおられた。「いただいて、文句を言うわけではないんだが、これはちょっとおかしいんじゃないか?全く被害に遭ってない部落に、こんな大切な義援金が何で配られるんだ?」僕も去年から疑問に思っていた。未だ、被災地では仮設住宅で生活を余儀なくされている人々がおられたり、復旧に苦労している人々がいるってのに、何で被害の全くなかった所に配分されるんだろうか?そんな余裕があったなら、どうしてそういう所に配分してあげないんだ!僕等は直接の被害が無かったから、僅かばかりだが義援金も出している。役所は被害調査も査定も満足にしないで、ただ単に元から配分されてきたから、めんどくさくて戸数割りか何かで配分したんじゃないの?もしそうだとしたら、全国からいただいた暖かいご厚意を台無しにしている!
それは確かに、風評被害で牧之庵如きのちゃちな蕎麦屋でも、売り上げには相当のダメージを受けた。間接的な被害は相当あったことは確かだが、直接的な被害に遭われた人々から見れば比較に値しない。人口割りか、戸数割りかは定かでないが、単純に戸数割りをしてみても、一戸当たり1万5千円以上にもなる。全域となると相当の金額になるだろうに。お上のやることはわからない。出来れば、そっくりお返しして直接被害に遭われ、未だ苦しんでいる方々のもとに届けたい気持だ。