☆孫のために、鉄棒を磨きだした。
お勤めをしていた頃に不要となった物をいただいて来て、子供等に設置してあげようとそのまま納屋に投げていた物だが、長い年月を経て真っ赤に錆びてしまっていた
サンダーで錆びを落とし定休日にペンキ塗りにと奮闘した。
二女夫婦が去年の暮れに新居を構えたので、ジジは「昔取った杵柄」で孫んちの庭造りに構想を練っている
鉄棒もその一つなのだ。
孫が言う、「ジジ、愛斗はお肉焼き焼きが欲しい?」そう、バーベキューの野外炉のこと、チビの頃から幾度となく体験させた我が家のバーベキューの思い出が強く脳裏に焼き付いているらしい。
焼き煉瓦で簡単に作った野外炉、孫には楽しい思い出として記憶にのこっていたらしい。
「ジジ、ここはお肉焼き焼きするんだよね?」。
牧之庵を始める前までは、芝生になっていて、野外炉で肉や海鮮物、野菜、焼きそば等を作って敷物をしてみんなで座って食べさせた。
こんな商売を始めたから、昔の芝生は無くなって、代わって庭は営業用に様変わり、孫はしっかり覚えている様だ。
そう言えばこんな商売を始めてから、すっかりアウトドアーが影を潜めた。
夏の夜は芝生の上にテントを張って、孫と遊んでやったもんだが・・・・・・。
孫も少し寂しい思いがあるんかもね?
そんな思いがあるからして今度待望の新居を構えたから、ジジの遊び心が疼きだしたって訳。
お肉の大好きな孫、牧之庵ではチャンスが無くなった分、今度は自分家で楽しくバーベキューが出来る場所を作ってやりたい。
幸いにも町場の住宅地にしては、宅地が二軒分ほどの広さがある。
造園修景は殆ど手着かず状態だから、腕の見せどころ。
子供の遊び心は熟知しているつもり?「庭は住居の延長線、大切な居住空間だ!」は、僕が勤めていた頃の持論。
庭は見栄や他人に見せる物ではない、余計な金を掛けずに、自分の好みで楽しみながら作り、使う場所、憩う場所なのだ。
ちっちゃな時から、野外で自然と戯れ、草花の美しさ優しさに触れ合う日常の生活体験。
自然の中から豊かな感性が育まれると思っている。
大人になっても自然が発する素晴らしいハーモニーを全く感じ取れない人を見かける。
豊かな感性、優しい心、思いやり等々は、幼少時代の生い立ち、育ち方にあると自分は確信してきた。
経済的に豊かだったか、貧しかったかではなく、育てる親の感性に大きく起因することだろう。
金、金、金・・・・・、そんな中で育てられれば、全てが打算からの組み立てしか見えてこない。
人間として、実に寂しい心、人生だ。いろんな人がいる、人それぞれだが、大きくなって見え隠れする過去の「育ち方、家庭環境」。
庭に限らず、野外で思いっきり遊びに興じてこそ、おおらかで伸び伸びとした人間形成ができると思うんだが。
そんなことで、まったくの押しつけに余念がない。
相手は迷惑なのかも知らずして?何ともバカな親心、子不知?
牧之庵の閉店後に孫が来た。
早速、仮組みした鉄棒を見つけるや、悪戯に興じていた。
何のことはない、まだ鉄棒の意味が分からないのだ。
「ジジが愛斗のお家に持って行ってあげるから、パパから教わって上手にならなくちゃね」、当の本人は「愛斗はてちぼう上手なんだよ!」上によじ登って、さながらウルトラマンになっている。
イヤハヤ・・・・・まだちょっと早すぎるか?