日を同じくして(17日)、友人諸侯が来る前には、小学校の担任の先生が、奥さんと悴さんとでお越し下さっていた。
記憶が定かならば、4〜6年生の3ヶ年間、この先生から教わった。
取り分け、図画工作(当時は、こう呼んでいた学課)に力を入れ、版画や絵画が上手な先生だった。
後に自分が絵画や物作りが好きになったのは、この恩師の影響が大きいし、当時の記憶として最も印象に残っている先生だ。
年賀状は毎年、得意の版画でほのぼのとした絵を彫り込んで送ってくださった。
どういう訳か、ここ何年かは年賀状をいただけないでいた。
ところが今日、10年ぶり位で拝見した恩師の姿。
髪の毛は真っ白、自分自身で歩けない様、僕が誰だか分からない有様、余りにも変わり果てた先生を見て愕然とした。
漸くのことで玄関を入って、廊下越しに客間に向かうが、一人では歩行困難、悴さんが肩で腕を抱えて添え歩き、やっとの事で椅子を置いた席につかれた。
「先生、お久しぶりです。よう来てくださいました」、だが、しっかりした反応がない?
ちょっとおかしいな?奥さんに尋ねると、数年前にある宴会の席で倒れて、それ以来、今のような状態になってしまわれたとのこと。
奥さんが「あなた、ここは古川(戸籍上は、大木六新田だが通称、古川という)ですよ。
この部落に教え子がいますか?」「ああ、古川には◯◯◯◯君がいる」と、真っ先に答えてくださった。
「先生、僕が◯◯ですよ。分かりますか?」「ああ、◯◯君だよ」、何か、分かった様な分からない様な、そんな感じだった。
失礼して、ご注文の蕎麦を茹でてお出しした。
奥さんも、牧之庵のことなど何も知らないできたらしい。
古川に蕎麦屋があるそうなんで来た程度、まして先生は、教え子の蕎麦屋だなんて事は、知る由もなし。
「ああ、おいしい」、そう言いながら、不自由の手でゆっくりと召し上がれた。
ババが差し上げたアイスコーヒーを飲みながら奥さんに先生との関わりを説明した。
担任だったこと、年賀状のこと、社会人になってからの先生との出合い、関わり等々を。
時々先生も相づちを入れる。
時々、分かるらしい?
お帰りになられる時、お車までお送りした。
先生曰く「◯◯君に宜しく伝えてください」だって?やれやれ、分かっちゃいないみたいなんだね〜・・・・・・・・
ちなみに先生は、80歳になられたとか。
それもそのはず、目の前の教え子が還暦を迎えたんだもんなあ〜。
またまた脳裏を過ぎる、同期会の案内文「びっくりするほど遠くに来ちゃった!」
写真は、最近何年かの先生から頂いた年賀状。もう、版画は彫れないなあ〜。年賀状もこれが最後かも・・・・・・