牧之庵から閉店の御挨拶 御案内の通り、牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」をもちまして完全閉店となりました。      お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろすことになりました。 これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ、5類に移行したとは言え未だ終息の気配がありません。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~.   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。兎に角、能登だけは、何があっても最優先、一時のロスタイムは許されないぞ! 先ずもって、この度の「能登半島地震」に遭われた能登の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。       お亡くなりになられました多くの御霊に謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌ー   トップ画像を替えました。これは、我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫. 題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真をつかいました。

*歴史の品々

一昨日紹介した「ガラクタ」の続き。ガラクタなんて罰当たりな!そうなんだよね〜。
それぞれに、昔の歴史が刻まれているんだよな〜。
☆皮の破れた太鼓

それにしろ、どうして胴体だけあるんだろうか?胴体だけなら、まだしっかりした物だ。
皮が破れたんなら張り替えれば良かったもんだが?
今ある太鼓に比べると、一回り小振りだから、破損した時点で、序でだから、もう少し大きな太鼓に更新したのかな?
文字が刻まれている。

            御祭禮太鼓                   文久元酉歳求氏子中
文久元酉歳求氏子中」文久元年の酉年に求めた物だ。
時代を追ってみた。
文久元年は、1861年、ざっと150年前(正確には147年前)に新調したものだ。
NHK大河ドラマ篤姫」の時代、時代が明治となる7年前だ。いや薩摩だ、会津、長州だと倒幕に明け暮れた時代だね。
ちなみに、1年前の1862年には、桜田門外の変大老井伊直弼が暗殺された時代。
まさに、幕末の動乱期だ。
150年前に、先人達が苦労して求めた物。そう考えると、壊れた太鼓も感慨深いものがある。
皮を張れば立派な太古に甦りそうだ。
だが、何のために?一時は廃物で処理される寸前だったが、刻まれた文字に重みを感じる。
先人達の歴史を、綺麗に掃除して残しておこう。
その内に、店内の何処かに、さり気なく姿を現すかも知れないね?



☆庚申膳だと言われてきたが?

持って来てはみたものの、この処分方法に頭を抱えていたね。
庚申に纏わる、信仰事に使われてきた漆器類だからだよ。
庚申とは(こうしん・かのえさる)と読むが、年暦上では「かのえさる」と呼ぶが、信仰行事では「こうしん」と呼ばれているようだ。
中国から伝わってきた暦の起源、難しくてややこしい。
「庚申(かのえさる)」も、干支(えと)の組み合わせの一つなんだね。
その干支も、「十支」と「十二支」とがあって、説明すると長くなるし、難しいんだよ。
僕もよう分かりゃせんのよ。
聞いたことがあるでしょう?「甲午(ひのえうま)」とか「乙丑(きのとうし)」などの呼び名、この組み合わせの頭に、順に付くのが「十支(きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと)」なんだね。
後尾に付くのが、年賀状などでお馴染みの「十二支(ね、うし、とら・・・・・・・・・いぬ、い)」この二つの干支の組み合わせで、60通りの組み合わせが出来るんだね。
「かのえさる(庚申)」も、その中の一つなんだ。一番目が十支の「きのえ」と、十二支の「ね」の組み合わせで「甲子(きのえね)」となるんだね。
「庚申(かのえさる)」は、57番目に廻ってくる。
60番目が干支最後の「癸亥(みずのとい)」の組み合わせ。
ちなみに今年2008年は「つちのえね(戊子)」年なんだね。
60日毎に「庚申日」が来て、60年に一度「庚申年」が巡ってくるんだね。
田舎の神社の境内や、道添えなどに「庚申塔」をよく見かける。
大小様々な石塔が、幾つも列んで建っているが、60年に一度巡ってくる年に、特別な祭りをして新たに建立するんだね。
60年に一度の長い年月だから、人間の一生では、運良く廻って2回、通常は1回だけしかお目に掛かれないんだね。
僕等が青年の頃、この大祭に出会った。
あれから三十数年が経つが、次回は二十数年後、運良く長生きできれば、もう一度出会えるかもね?
この庚申の日に、いつの日からか信仰が始まった。
当地方では「お庚申様(オコウシンサマ)」と言って、仲間(講)を作り信仰した。
60日で巡ってくる「かのえさる(庚申)」の日の夜は、講中が集まって夜を徹したという。
その由来は、諸説あって実態は定かでないが、民間信仰は、諸々の信仰と迎合しながら地域に定着してきたようだ。
特に農村では、作神としての信仰色が強いようなんだね。
時代背景と共に姿を消し、今では、庚申講中は在っても、旧態の信仰とは全く形を変えている様だ。
我が集落も然り、「お庚申様」が途絶えて半世紀以上、無用の長物となった庚申用具も、廃棄処分のご時世となった。
その歴史ある漆器を手元で見詰める時、これまた、複雑な心境で思いを馳せる。
そしてまた、最終判断に重きを憶える。とんだ物を抱え込んだとね。

でもね、ちょっと腑に落ちないところがあるんだよ。これって、ほんとに庚申膳なのか?ってね。一寸おかしい?それはこの次に、長くなりすぎたからね。