「牧之庵は閉店しました」 牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」で閉店。お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろしました。これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。閉店から5年も経つのに未だ途絶えることがないお客様からの問い掛け、昨日のように思いが蘇る。   幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ世界中が翻弄された。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~。   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。    「トップ画像」これは我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫。   題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真。もう2年も前の事。   今は長女は4年生、今年の春は異常気象でトウモロコシに振り回されてきた。2回目の播種でお姉ちゃんが登場するかもね?            

*ベストタイミングで誘ってくれる友人

bokusian2007-07-24

先週の17日、中越沖地震のあった翌日の夜のこと。
翌18日が牧之庵の定休日ということもあって、旧隣町の友人2カップルが来た。
年に数回は僕達夫婦を加えた3カップルで土曜日の夜に繰り出しては飲み会をしていた。
しかし、僕等が蕎麦屋に転身してからは、大概水曜日の夜に変わった。
この日は、火曜日だったが牧之庵が5周年を迎え、僕が前日(16日)に還暦の誕生日だった事もあってか、僕等抜きで、会場も牧之庵になったようだ。
牧之庵の閉店時間を待って恒例の2次会に我々も繰り出した。
1組の夫婦は、旦那よりも奥方がお酒が強く、それも夏だろうと燗酒を嗜む。
一方、旦那はビール党で、よく食べるがアルコールは強い方ではない。
もう1組は、奥方が全くアルコールは駄目で、最後までウーロン茶をのみながらの喰い一丁、旦那の方は可成り酒豪で、これまた燗酒を嗜む。
さて、我がカップルだが、奥はビール一筋、親爺は何でも来いだが、ビールは最初の一杯のみで、飲んでも瓶ビールで1本程度、中生で一杯程度まで、後は日本酒のお燗酒を好むが、成人病の優良児になってこの方、焼酎割りに切り替えて久しい。
通常、1次会で2時間程度費やして2次会に移行するが、必ずカラオケのあるスナックが定番なのだ。
毎回、何処に行ってもカラオケに合わせて、即興で日本舞踊?を踊る日本酒党の奥方、この日も最後まで踊りっぱなしだった。
もう一人の奥方は、アルコール類を全く嗜まず、何時もアッシー君、送り迎えをしてくれる。
何時も申し訳ないが実に有り難い。
久々のスナックでのカラオケ、いいタイミングで誘ってくれる友に感謝しつつ、暫しの休息をもらってストレスの発散と、還暦のガタの来た心身に些かのエネルギーを蓄積した。

*小学校の恩師

日を同じくして(17日)、友人諸侯が来る前には、小学校の担任の先生が、奥さんと悴さんとでお越し下さっていた。
記憶が定かならば、4〜6年生の3ヶ年間、この先生から教わった。
取り分け、図画工作(当時は、こう呼んでいた学課)に力を入れ、版画や絵画が上手な先生だった。
後に自分が絵画や物作りが好きになったのは、この恩師の影響が大きいし、当時の記憶として最も印象に残っている先生だ。
年賀状は毎年、得意の版画でほのぼのとした絵を彫り込んで送ってくださった。
どういう訳か、ここ何年かは年賀状をいただけないでいた。
ところが今日、10年ぶり位で拝見した恩師の姿。
髪の毛は真っ白、自分自身で歩けない様、僕が誰だか分からない有様、余りにも変わり果てた先生を見て愕然とした。
漸くのことで玄関を入って、廊下越しに客間に向かうが、一人では歩行困難、悴さんが肩で腕を抱えて添え歩き、やっとの事で椅子を置いた席につかれた。
「先生、お久しぶりです。よう来てくださいました」、だが、しっかりした反応がない?
ちょっとおかしいな?奥さんに尋ねると、数年前にある宴会の席で倒れて、それ以来、今のような状態になってしまわれたとのこと。
奥さんが「あなた、ここは古川(戸籍上は、大木六新田だが通称、古川という)ですよ。
この部落に教え子がいますか?」「ああ、古川には◯◯◯◯君がいる」と、真っ先に答えてくださった。
「先生、僕が◯◯ですよ。分かりますか?」「ああ、◯◯君だよ」、何か、分かった様な分からない様な、そんな感じだった。
失礼して、ご注文の蕎麦を茹でてお出しした。
奥さんも、牧之庵のことなど何も知らないできたらしい。
古川に蕎麦屋があるそうなんで来た程度、まして先生は、教え子の蕎麦屋だなんて事は、知る由もなし。
「ああ、おいしい」、そう言いながら、不自由の手でゆっくりと召し上がれた。
ババが差し上げたアイスコーヒーを飲みながら奥さんに先生との関わりを説明した。
担任だったこと、年賀状のこと、社会人になってからの先生との出合い、関わり等々を。
時々先生も相づちを入れる。
時々、分かるらしい?
お帰りになられる時、お車までお送りした。
先生曰く「◯◯君に宜しく伝えてください」だって?やれやれ、分かっちゃいないみたいなんだね〜・・・・・・・・
ちなみに先生は、80歳になられたとか。
それもそのはず、目の前の教え子が還暦を迎えたんだもんなあ〜。
またまた脳裏を過ぎる、同期会の案内文「びっくりするほど遠くに来ちゃった!」
写真は、最近何年かの先生から頂いた年賀状。もう、版画は彫れないなあ〜。年賀状もこれが最後かも・・・・・・