「牧之庵は廃業して5年が経ちました」 牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」で閉店。お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろしてもう5年も経ちました。   幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ世界中が翻弄された。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~。   そんな不安定な情勢の中で、新年は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々(2024年)から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。新総裁は岸田から石破に交代。過半数割れした与党は厳しい国会運営、世界情勢は独裁権威主義が蔓延って不安定。アメリカではトランプ政権の再来、韓国では動乱騒動で尹政権の終焉危機、不安だらけの世情。   だからと言って、下だけ向いては振り回されるだけ。   来年の干支は「乙巳(きのとみ)」。巳(み・へび)は、神様の使いとして大切にされ、脱皮を繰り返す様は不老不死のシンボル「再生、変化を繰り返して粘り強く柔軟に発展する」と考えられる。   辛抱強さが試される年になりそうかね。 「なに~~、もっと我慢かよ!」ってか。まあまあ、そう焦らずにマイペースで着実に前進してゴールインじゃて。   今年の我が家は、再開したブログを休止させられた通り「異常事態発生」でした。内情には触れませんが、最悪の状態だけは免れました。来年の干支に託します。       

*越中・飛騨・南信州の旅(氷見の宿)

※今宵のお宿は越中氷見の民宿「磯波風(いそっぷ)」

牧之庵の定休日を挟んで26日から4日間お休みをいただいて「きょうだい会」の旅行を計画した。
さて、明日出発という前日(25日)に能登震源地震が来た。
前のブログでも触れたが、震源地は僕等が最初の宿泊地に計画した能登町の宿とは隣り合わせ、よりによって余りの偶然の皮肉。
予約しておいた宿から「折角お越しいただくのに、ほんとに残念です。お会いできるのを楽しみにしておりましたが御案内の通り地震でお客様にお越しいただいても危険ですし、お皿や食器類が壊れたりで暫くの間休業です。またの機会にお会いできることを楽しみにしております」と丁重なお断りの連絡が入った。
地震で、それどころではなかった事だろうにご親切な心遣いに感謝した。
近年、中越地震を経験した県民の一人として、被害に遭われた皆様の一日も早い復興を願い、お見舞い申し上げます。

25日に我が家に到着した神奈川の義兄夫婦と行く先の検討をする。
主目的の第一泊目の宿が没になって、第二候補にあげていた「氷見の民宿」に的を変えて地震情報を収集した。
幸いにも氷見周辺は被害は全くなく予約が取れた。「ああ、よかった!」とは、素直に思えない。奥能登地震被害が脳裏を横切る。

    ☆3月26日(月)氷見の宿「磯波風(いそっぷ)」
8時半牧之庵を出発。地震で出鼻を挫かれたので、先ずは善光寺能登地震無事祈願と旅の安全祈願を兼ねてお参りすることにした。能登までは行かれ終いなので時間的に余裕が生じたからだ。
お参りを済ませ参道の「ぱていお大門」の手作りパン工房「グーテン ターク」で遅い朝食
         
               善光寺でお参り ↑
    
             朝食はパン工房で焼きたてのパンを ↑


よ〜しこれにて厄落とし。
この先は盤石だ!引き返して信州中野ICから上信越道上越ジャンクション、北陸道に乗り換えて越中方面に向かう。
お昼は県境の「栄食堂のたら汁」と決めていた。
親不知で高速を降り、国道8号線で「栄食堂」に向かう。
途中「天険親不知(展望台)」日本海の眺望を楽しみ、たら汁、たら汁・・・・・・・ありゃ〜、なんだ〜!残念!定休日だってよ〜!仕方なく、真向かいの食堂に飛び込んだ。
この辺は、何処を走っても「たら汁」の看板が目に入る。
んん〜旨い!旨い!栄食堂は残念だったが、これはこれで満足だ。
そんなことで、たら汁定食なるものと、境名物「だんご汁」なるもので昼食。
        
              天険親不知 展望台 ↑

宿までは時間がたっぷり、このまま下道で行くことにした。
目的の氷見の民宿「磯波風(いそっぷ)」に着いたのは3時半頃、民宿というには似付かない立派な温泉お宿!日本海富山湾が一望の素晴らしい眺め!
早速、風呂に飛び込んで               
         
             待ちに待った氷見の魚!最高! ↑
         
                 磯波風の夕食 ↑