☆雨の秩父路.札所巡り
当地方も梅雨入り宣言。
朝から雨、そんな最悪のコンディションの中でも一風変わりもんの老夫婦が秩父にいた。
まだ巡っていない札所が八寺、17番から25番まで(内、18番は順路の都合で前回巡り終えた)。
今回で4回目の秩父路だが、当初から5回で巡り終える計画なので、無理をせずゆっくりと巡る予定だ。
未巡回の観音が八寺だと言ったが、実は前回札所26番の円融寺は、行くには行って御朱印は頂いてあるんだが、時間がなくて本堂のみの参拝で済ませてきた。
観音堂には、三百余段の石段を登らなくては辿り着けないのだが、今回もこの雨のため苔生した石段は滑って危険だから断念して次回に送った。
従って、9観音が残っているってことなんだね。
それも、一番難儀な円融寺が残ってるんだから、悪天候の今回も順路に入れること自体無理って訳じゃった。
これからどう巡ろうか?
最悪のコンディションの中、札所とは関係ないが当初からの計画に入れていた「三峯神社」は行程に入れた。
雨は降り止まず、コウモリ片手の最悪の状況だ! シューズは水浸しズボンの裾はびしょ濡れだ!。
まあこれも、しゃーないよ。誰が判断したわけじゃなし。ずぶ濡れ覚悟の巡礼者? 何を好んでどこぞ行く?(まあ、どうとでもほざいてくれ!)
色々と訳ありで、漫遊記(遍路記)は後書きってことでご免なされよ。
これも伏せておこうかと思ったけどね。バラしちゃうよ。
実は前回(5月31日)、カード落としちゃったんだよ。
この日は、逆回りで西秩父の小鹿野町、札所34番から巡りだして、31番の観音院を巡り、途中の水子供養の地蔵寺でちょっと下りて、お昼時間になったんで秩父市内に向かっていたんだね。
途中で立ち寄った吉田の道の駅「龍勢会館」で紛失したことが発覚、帰宅後に即カード会社に連絡してストップ、再発行の手続きも済ませた。
ところが、暫くしてカード会社からの連絡で小鹿野警察署に落とし物の届け出があるって旨の連絡を貰い、この日は真っ先に受け取りに行ったんだ。
落としたのはカードケースに入った3枚のカードと、専門店の会員カード等の数枚だけで現金やその他の貴重品は一切入れてなかったんだね。
正直言って、今や何の価値も無くなったカードだが、拾って届けて下さった善良な方に対する感謝と礼節を重んじての行為、早速札所巡りの御利益と良きに受け止めた。
さてこれからが本番、先ずは、17番からスタートだ。
※札所17番 定林寺(じょうりんじ)
小振りな観音堂だが、回廊があり野趣深い寺だ。別称を「林寺」といい、林家の持寺として開創されたというから凄い。
その昔は、この寺は秩父神社の近くにあって、札所一番で当時は秩父札所は33ヶ所だったそうだ。
西国、板東、秩父の百観音のご本尊を浮き彫りにした梵鐘は県指定有形文化財で、秩父三名鐘の一つといわれるそうな。
お参り前につくとお金が入る「入りかね」といわれるとか?おいらも突いてきたからタンマリと「入りかね」かもよ?
御朱印
「入りかね」よろしくと、ババが祈る
御朱印を承けるババ、はてさてその御利益は如何に
※札所19番 龍石寺(りゅうせきじ)
境内一面が、凸凹の岩盤。その岩盤の上に本堂が建てられている。ビックリするような起伏の岩盤、車道とて例外では無い。
車の腹に当たるのでは? それ程の大きなデコ岩が地面に飛び出している。
御朱印
「厄除け観音」として知られ、特に女性(19.33歳)の厄除けで縁日は賑わうそうだ。
「三途婆堂」
御朱印を承けるババ
※札所20番 岩之上堂(いわのうえどう)
岩の上堂と言われるだけあって、文字通りに岩の上に建っている。秩父の札所の中では最古の建物だそうで、観音堂は江戸初期の造営とか。
この観音堂は、個人(内田家)の先祖が、個人の資金と勧募をもとに25年もの歳月をかけて造営したもの。
御朱印
札所最古の建築(観音堂)に参るババ
足下にも岩盤が見て取れる
御朱印は観音堂近くの内田家で頂く
※札所21番 観音寺(かんのんじ)
岩之上堂から歩いて十分と直ぐ近くに位置する。公道添えに建つ、我が家と同じ「真言宗豊山派」。
御朱印帳に「矢之堂」とも記されるが、武将が矢を納められた場所から称されたという。
※札所22番 童子堂(どうじどう)
ここも我が家と同じ宗派「真言宗豊山派」に属する。田舎道を行くと、茅葺きの仁王門が迎えてくれる。
仁王様といえば、もの凄い怖い顔だが、ここの仁王は愛嬌顔で思わず微笑みたくなる出で立ち。名前の通り「童子堂」でお似合いだ。
その昔、天然痘が流行り、観音祈願をし、岩から生ずる清水をつけたら病がたちどころに消え失せた。
以来、童子を病から救う観音として「童子堂」と呼ばれてきたそうな。
※札所23番 音楽寺(おんがくじ)
「童子堂」、「音楽寺」と、リアルな名称が続く。音楽寺の名の由来も面白い。
なんでも、札所を開いた十三人の聖者が山の松風の音を菩薩の音楽と聞いたからと言われたいる。
音楽を志す人が多く訪れるそうだ。梵鐘も磐余ある音楽寺なればこその鐘。