牧之庵から閉店の御挨拶 御案内の通り、牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」をもちまして完全閉店となりました。      お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろすことになりました。 これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ、5類に移行したとは言え未だ終息の気配がありません。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~.   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。兎に角、能登だけは、何があっても最優先、一時のロスタイムは許されないぞ! 先ずもって、この度の「能登半島地震」に遭われた能登の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。       お亡くなりになられました多くの御霊に謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌ー   トップ画像を替えました。これは、我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫. 題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真をつかいました。

*年賀状

bokusian2007-12-07













今年は「亥年」、十二支最後の年男だった。来年は「子」、ネズミ年だ。
今朝、牧之庵のすぐ前にある郵便局から年賀状を買ってきた。
勤めを辞めてからは営業用の年賀が減った分、大分少なくなってきたが、それでも毎年出したり頂戴したりで、そこそこの枚数になる。
早く書かなくては、と気に掛かってはいるんだが年の瀬の雑用に追われ、延び延びになって例年元旦に届けられる様にと、駆け込みセーフの繰り返しだ。
年に一度の年賀状、思えばこの一通の便りだけで卒業以来一度も顔を見ない友もいる。
人生の出合いとの証、その先々での新たな出会え、特別お世話になった人々や、仲良しになれての年頭のご挨拶。
何時しか自然に途絶えた人もあれば、40年以上会わずに続いている友もいたり、ある年にプツンと切れて家族からの訃報の知らせ。
もう何枚も、あの世の便りが目立つようになってきた。
歳と共に確実に減っていく年賀の数、時として、しみじみ見つめ直す、最後になってしまった去年の年賀状。
パソコンの住所録は、年賀欠礼のマークが記される。
ここ2、3年の間にも、お世話になった方々が何枚も消えた。
悲しいかな人生はこの繰り返しである。
今年は還暦を迎えた年、感慨深い「年男」の年であった。
今年の年賀状は家族で祝って貰った記念写真。嫁いだ娘が「お父さん、年賀状貸して、お歳暮代わりに還暦祝いの写真をプリントしてあげるから」。
ちょっぴり恥ずかしいが、これで一手間省けるわい。
二度とも機会を失した「還暦の同期会」、友との交友は逃したが、ひっそりと祝って貰った内輪だけのあったかい「還暦祝い」、思いは今年の締めに相応しいかも?
振り出しに戻っての「子年」、もう一巡の「年男」まで、そばを打ち続けて行かれるだろうか?
その時は60歳+12年である。70歳を超えてしまう・・・・・・・・・。