今年は「亥年」、十二支最後の年男だった。来年は「子」、ネズミ年だ。
今朝、牧之庵のすぐ前にある郵便局から年賀状を買ってきた。
勤めを辞めてからは営業用の年賀が減った分、大分少なくなってきたが、それでも毎年出したり頂戴したりで、そこそこの枚数になる。
早く書かなくては、と気に掛かってはいるんだが年の瀬の雑用に追われ、延び延びになって例年元旦に届けられる様にと、駆け込みセーフの繰り返しだ。
年に一度の年賀状、思えばこの一通の便りだけで卒業以来一度も顔を見ない友もいる。
人生の出合いとの証、その先々での新たな出会え、特別お世話になった人々や、仲良しになれての年頭のご挨拶。
何時しか自然に途絶えた人もあれば、40年以上会わずに続いている友もいたり、ある年にプツンと切れて家族からの訃報の知らせ。
もう何枚も、あの世の便りが目立つようになってきた。
歳と共に確実に減っていく年賀の数、時として、しみじみ見つめ直す、最後になってしまった去年の年賀状。
パソコンの住所録は、年賀欠礼のマークが記される。
ここ2、3年の間にも、お世話になった方々が何枚も消えた。
悲しいかな人生はこの繰り返しである。
今年は還暦を迎えた年、感慨深い「年男」の年であった。
今年の年賀状は家族で祝って貰った記念写真。嫁いだ娘が「お父さん、年賀状貸して、お歳暮代わりに還暦祝いの写真をプリントしてあげるから」。
ちょっぴり恥ずかしいが、これで一手間省けるわい。
二度とも機会を失した「還暦の同期会」、友との交友は逃したが、ひっそりと祝って貰った内輪だけのあったかい「還暦祝い」、思いは今年の締めに相応しいかも?
振り出しに戻っての「子年」、もう一巡の「年男」まで、そばを打ち続けて行かれるだろうか?
その時は60歳+12年である。70歳を超えてしまう・・・・・・・・・。