※牧之庵16年の歴史は「小箒」にあり
今日から大型連休は後半に入ったが、これまで続いた好天のため、生憎の雨からのスタート。
昨日までとは、まるで異なる別の季節。
今朝、ず〜〜と前に買っておいた蕎麦打ち台を掃除する小箒をおろした。
5.6年前に2本買ってきて、残っていた一本だが、そんなに大事に保管してもあと何年蕎麦屋を続けられるか分からないのにと、ババに促されて下ろすことにした。
ずっと前のブログ上でも、ちょっと触れたことがあったが、この小箒(こぼうき)は初代から信州の戸隠高原の物産店で買い求めたものなんだ。
間もなく7月で16年を迎える牧之庵だが、これまでに3本で賄ってきた。
取り分け当初の2本は、これまで大事に使い込んできたんだが、今に至っては働き部分が当初の5分の一にも満たない程に痩せ細り、見るに忍びない。
写真が示す通り、牧之庵16年の歴史は、使い減った小箒の姿が物語る。
足すこともない、引くこともない。
これまでの蕎麦打ち台で繰りひろげられし歴史の数々、小箒一本に限っても奥が深い。
それぞれに、思いがあり、拘りがあり、刻まれし歴史が伴う。
たかが小箒一本のこと、どうって事なかろうが・・・・・・・・・・?
だけど、この4本の小箒は何かを告げている。
そうなんだよ、「これまでご苦労さん」、はてまた「大事に使ってくれて有り難う」。
ジジとしては、これまで牧之庵で歩んできた証、そうなんじゃよ、我が人生の貴重な足跡なんじゃて。
だから、この使い切った小箒には我が思いがいっぱい詰まってる。
それはそれとして、ジッチャマは使い切った古い箒を捨てられずにいるんだね。
一本に5年の歳月、数え切れないほど蕎麦打ち台を掃いてきた。
小道具に魂が宿る。