牧之庵から閉店の御挨拶 御案内の通り、牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」をもちまして完全閉店となりました。      お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろすことになりました。 これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ、5類に移行したとは言え未だ終息の気配がありません。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~.   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。兎に角、能登だけは、何があっても最優先、一時のロスタイムは許されないぞ! 先ずもって、この度の「能登半島地震」に遭われた能登の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。       お亡くなりになられました多くの御霊に謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌ー   トップ画像を替えました。これは、我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫. 題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真をつかいました。

*もう一度会いたいあの人

bokusian2006-08-28

僕が会社勤めを辞めてから5年、そば屋を始めてから4年余が過ぎた。
この間に以前の仕事関係、友人関係等でお世話になった大切な方々がこの世を去られた。
生を受ければ、誰しもが辿る宿命とは申せ、特別の思いを持っていた方とのお別れは本当に辛い。
かなりの時間が経過してなお、心の悲愴感は癒えることがない。
ことある毎に懐かしく、思い出される。
「おーい、元気でやってるか?今度そっちに行ったら声を掛けるよ」あの頃の元気な声が聞こえてくる。
去年の今頃は、どうしていたんだろう?ふと、パソコンで打つ日記帳をめくって見た。
そこには、以前大変お世話になった、ある方の弔いに行って来た事が記してある。
「雉啼くや 日和田の里に 身はとどめ」昨年の5月1日に詠んだ辞世の句。
この句を詠んで僅か2日後に79歳の生涯にピリウドを打たれ、この世を去った人。
こんな商売をしてから、周りからの情報が遮断され、何ヶ月も経つのに知らずにいた。
知らされて、直ぐに弔いに行ってきたんです。氏は埼玉の人、幼少の頃に両親に先立たれ、祖父母に育てられたとお聞きした。
満州の大学を出られ、僕の産まれた頃には、地元で教鞭を執られていました。
その後、何カ所かの会社に勤務されたそうですが、地元で不動産会社を設立、成功を収め、ここ魚沼地方に温泉宿を開いたんです。
地元では、病院を開いたり、社会福祉法人でケアハウス、老人介護施設等を設立、死の間際まで、特養老人ホーム建設に向けての新しい事業にロマンを追い求めていました。
ここ魚沼の温泉宿は、今やこの地方を代表する立派な宿に育て上がりました。
僕と氏との出会いは、好意にして下さった、ある工務店の社長のご紹介で始まりました。
十数年前のことです。
勤務先では土木部を任されていたんですが、個人的に造園が好きだったから、専業としても少しは取り入れ始めた頃だったでしょうか。
露天風呂が需要を帯びて、その宿でも造る計画が持ち上がりました。
その工務店の依頼で、僕が計画を依頼されたんです。計画資料を持って、工務店の社長のお供をしたのが初めての出会いでした。
その後、社長が埼玉からお見えになると、必ずと言っていいほど、工務店の社長に呼び出され、一緒に夕食のお付き合いが始まりました。
ある時は、身の上話。ある時は、経営哲学。
僕と同い年のお嬢さんがいらっしゃって、病院を始めた時のこと、ある商売をして儲かった話、病におかされて療養生活を余儀なくされたこと、この地で、温泉お宿を始めた頃のこと、何度も、同じことを聞かされるほど、ご一緒にご馳走になりました。
殊の外、計画立案が気に入っていただいて、その後も他のメンテナンスのお仕事もいただくようになりました。
何度かお会いしているうちに、親子ほど違う年の差もあってか、知らず知らずに、氏の人間性に魅力を感じたんです。
ご苦労をして成功を収めてきた人だけあって、金銭面は非常に厳しく、請負金額の取り決めには、苦労しました。
「宿屋って商売は、これだけ掛けても、その分として直接見返りがあるってもんじゃないんだよ。
客観的にお客さんに喜んでいただいて、ゆっくりと評価を得て、結果が出るんだ」そうおっしゃられて、次々に目新しい事を取り入れる。
いろんな事を教えていただきました。


数年後、4000坪の広大な敷地に、数百メートルの廊下を配し、400坪の平屋建、離屋敷を増築しました。
広い池と庭、大きな滝、初めて手掛けた設計施工の大庭園でした。
それから4年後、この宿の一番奥の山際に、大露天風呂建設が始まりました。
露天風呂に使った石は、信州秋山郷から探しに探した銘石です。
僕が勤めを辞めずに、氏とお付き合いをしていたら、もっと、もっと可愛がられ、教えられたんでしょうが、別れはもっともっと耐え難いものになっていただろう。そう思うと、少しは気休めになる。
1年忌が過ぎてなお、氏が埼玉から駆けつける様な錯覚を憶える。
思えば牧之庵の開店後、心配していただいて、おかみさん等とお越しいただいた。
出来れば、それなりの形が出来てから、お呼びして一言お世辞でもほめていただきたかった。
それも叶わぬ夢。
でも、氏の声が聞こえる。

☆もったいぶって書いてきたが、考えれば隠すことはない。何も隠す必要は無いことに気付いた。
氏とは僕が可愛がられ、尊敬申し上げてきた「南魚沼市六日町温泉、温泉お宿 龍言」の元社長「故宇津木敏夫」氏です。        

  龍言  http://www.ryugon.co.jp