ピポ、ピポ、ピポ・・・・・・・早朝から救急車が近づいて来る音「また何かあったんかな?」。
日課の早朝野菜の収穫中だった。隣の家の辺りで救急車の音が止まった。んん?隣のお婆ちゃんか?
心配になって、畑越しに隣を覗った。特別、なんの変化も見られない。
不思議に思い、急ぎ早に隣の家まで行ってみたんだ。すると、そのお隣の鍛冶屋さんらしい?
親戚の方が近寄ってきて、お爺ちゃんだと知らせてくれたんだ。
救急車が来たが、すでに遅し、トイレで亡くなってしまったというんだ。
救急隊員は、容態を確認して、そのまま帰った。
以前の僕のブログにも、何回となく登場いただいた。
この界隈では、唯一の「村の鍛冶屋さん」だったんだ。
90歳のご高齢だが、若くから鍛え上げた心身は強健で、未だに現役の鍛冶屋さんだった。
僕等が生まれるもっと以前から「古川の鍛冶屋」と親しまれ、鍬、鎌、鉈等の農具、包丁等を作り続けてきたんだね。
最近は、大病で入退院の生活だったようだが、鍛えられた体は、通常のなまくらとは違って、前日も作業をしていたという。
趣味が多彩で、ゲートボールは審判員、盆栽は玄人の技で、取り分け菊作りには定評があったんだ。
毎年、秋になると、見事に咲かせた大輪の花を、何も告げずに、そっと一鉢玄関に置いて行かれた。
花が終わる頃を見計っては、また知らぬうちに持って行かれた。
それも、単年の話ではなく、もう十数年の長きにわたり、僕等にも菊薫る季節を届けてくれたんだね。
また一人、貴重な文化財が消えた。童謡の世界が無くなってしまった。
今年の秋は、玄関先から大輪の菊も消えてしまった。
牧之庵の6年間、毎年玄関脇に飾られた一鉢の菊、訪れてくださったお客さんにも、お気づきの方もおられるやも?
先程、弔いに行ってきたんだ。お線香をあげてお参りを済ませ、そっとお顔を拝見した。
穏やかな寝顔、急死のため、普段のお顔と何ら変わりない。
「長い間ご苦労さんだったない。ゆっくり休んでくんねか。もう、菊の花が貰わんねくなったない」声を出して弔ってきたんだ。
七十数年の現役職人、本当に長い間ご苦労様。
安らかに・・・・・・・・・ 合掌
★鍛冶屋さんの労作(牧之庵の玄関に)
2006年10月.淡紫と白色の二鉢 2007年10月.黄色の大輪、3本仕立て
毎年3月12日に開かれる、大里一の宮(十二講)の農具市に、ただ一軒になった村の鍛冶屋さんが出店。この貴重な風景も、次回からは姿を消すことになる。
★過去の関連ブログ抜粋:
2006.10.23 http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20061023
2007.3.12 http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20070312
2007.10.26 http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20071026
2008.3.13 http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20080313