☆結婚式があって
昨日は分家の結婚式があった。
久しぶりに、若いカップルを拝ませて貰って、心が華やぎ、幸せな気分を味わった。
午前中に結婚式を終え、午後は1時から披露宴、主催者側の要望もあって、宴会場に入って直ぐにビールが出された。
花婿、花嫁が入場する前に、まして乾杯もしないうちからのビールには、些か抵抗があったが、「どうぞ、お召し上がり下さい」とお酌された。
「もう飲んでも良いの?」お隣のテーブルのお客さんも半信半疑で回りを伺った。
「本日は、リラックスしていただけるようにとの、ご両親様のお心遣いで、お飲み物が用意してあります。
どうぞお召し上がり下さい」と、進行役のお嬢さんのアナウンス、そんならばと、皆さんが一斉に飲み出した。
やがて、ご両人の入場だ。
実は、乾杯の発声を頼まれていたんだね。
すぐに、係の方が席に来て「ご本家様でいらっしゃいますか、真っ先に乾杯となりますので御紹介がありますからお願いします」ちょっぴり焦ったね〜。
普通であれば、主賓の祝辞があって、宴会に入る直前に乾杯でしょう?ビックリして言っちゃった「いきなり乾杯でビックリしました」ってね。
最近の披露宴のスタイルも、暫くご無沙汰しているうちに随分変わったようだ。
それに、媒酌人のいない結婚式が多くなったね〜。まあ、諸説あろうが、兎に角変わった。
最初に乾杯の発声って事になると、挨拶の前口上も多少は考えなくちゃいけないしね。
今まで何回かこのスタイルの乾杯の発声を経験してるから、それなりには考えていたから幸いに焦りは無かったがね。
それに、昔のような形式的な事が無くなったから、そんなに深く考えなくても良くなったって事だね。
余興もヤングパワーで圧倒される。さながら友人だけの世界、ご両人も一緒になって楽しむって感じなんだね。
もっとも、当事者にとっては一番幸せで、思い出に残る事だろうがね。
でもね〜、両家の叔父さん、叔母さん、ちょっと年配の親戚や会社の恩師なんかは、蚊帳の外、ただ圧倒されて賑やかな中で、静かに飲んでるって感じなんだね。
もっとも、昔スタイルの祝い歌のカラオケや、おばさん連の趣味の踊りでは、変わり映えが無くて味気ないが、どういうもんかね〜。
全くロートルの出番が無いことに些か我慢できなくて、またまた飛び入りで潜入「ご要望の曲があるか探しますので、ちょっと待って下さい」あったね!いつも定番で歌った「祝いしぐれ」
前口上も入れた「いかに時代が変わっても、子を思う親心は永遠に変わりません。この歌は、娘を嫁がせる、そんな親の心境を詠ったものです」ってね。
ちらっと、嫁がせたお母さんを伺った。うつむいて上手でもない歌を聞いて下さっている様だ。
出しゃばりが、辛うじてロートルの出番を作った。それが良かったのか、どうなのかは、定かでないが?
なが〜い披露宴が終え、会場の車で婿方の実家に到着。
そこにもご馳走が用意されていて、身内だけの慰労会が始まった。
弟も一緒にお呼ばれしていたから、我等二人は宴会から、ず〜っと芋焼酎の飲みっぱなし。
かなりメーターが上がってしまった。
「明日の朝は、区の田圃の草刈りだよな」そんな話も出たりして。
★やばい!共同作業を忘れてた!
今朝は順調に目覚めた。
あれだけ飲んだが、焼酎のお陰で悪酔い無し。いつもと変わらぬ朝?いつもの様に、いつもの仕事を難なくこなす。
やばい!今朝は6時から草刈りだった!やはり飲み過ぎた証、すっかり忘れていた!いつもの様にはいかなかった。
もう30分を過ぎていた。もう終わったな?
急いで軽トラで田圃に駆けつけた。案の定、作業は全て終了、村人が集まって野良会議の真っ最中。
体裁悪いったらありゃしない。「いや〜、ご苦労さんでした」頭を掻き掻き「申し訳ない、申し訳ない」昨日、僕に何があったかは皆知っている。
飲み過ぎて忘れてしまったこともね。すんなり会議に加わった。これが農村の良いところ「ほらみれ、飲み過ぎたがだっぺ」それですべて帳消しだ。
後で聞いたら、村のガラクタを処分する話だったらしいんだね。
☆ガラクタ
そのガラクタとは、昔共同で使っていた備品なんだが、味噌煮釜と大豆の潰し機、庚申膳(お庚申様に使ったお膳と椀だが、説明すると長くなるので、後日機会があったら紹介)等のこと。
牧之庵の親爺は、ガラクタに興味あるから、勝手に引き取って処分しろって事なんだそうだ。
蕎麦を打ち終えたころ電話が入った。
区長からで、今日は日曜日のために、区の委員で物置の整理をしている。
重い物もあるので、みんなが手伝うから車で取りに来れないか、って事なんだ。
急いで軽トラで取りに行ってきたんだ。
選んでいては失礼なので、取りあえず外に出した物は、ゴミのはてまで積み込んで持ってきた。
仕事を終えてから、そのガラクタを降ろして、不要の捨てるゴミを処理したんだね。
←左の写真は、ガラクタを積んできて、不要のゴミを降ろして残った物。
左から、膳と椀20人分、皮のない太鼓、味噌作りに使った道具(味噌の材料となる大豆を煮る釜と、煮た大豆を潰す機械)
大豆を煮る釜 大豆を潰す機械
釜の燃料は薪を燃やしていた。程良く煮た大豆は、潰し機(右上)を使って味噌にするが、上部の筒状の容器に大豆を入れ、手で回して大豆を潰して送り出す。
潰れ出される大豆は、出口の円形の板に無数に開けられた小粒の穴(写真下)から、ちょっと太い麺のように送り出される。
それを丸めて(味噌玉と呼ばれる)板の上に並べ発酵してカビが生える頃まで放置する。
適当に乾き、発酵したら適量の塩と麹、水分を加えて攪拌し冷暗所で寝かせるんだね。
いや待てよ?塩と米麹をまぶしてから味噌玉を作るのかな?
詳しいことは、良く覚えていないんだが、昔の農家では、こうして自家産の味噌を作っていたんだよ。
その頃は、田圃の畦畔にも大豆を沢山作っていたから、材料は豊富にあったんだね。
世が変わって、田圃も区画整理で大きくなると、作業用に使う畦畔には大豆を植えられなくなり、機械も小型で電動の物がでたり、市販の味噌も手頃な価格で手に入るようになり、次第に自家生産する農家が減ってきたんだね。
この機械は、区で所有し共同で使用していたんだよ。1回の使用料も決められていて、僕の記憶にある当時は、500円だったね。
一冊の使用ノートが付けてあって、それを見ると、最終の使用者は昭和63年に一軒だけ。
それを最後に、この道具も役目を終えてしまった。
我が家では、58年を最後に市販の味噌に切り替えた様なんだね。
以来ず〜っと市販味噌を使い続けてきたんよ。
ババが嫁いできて暫く経ってから、農協の婦人部ってのがあってね、生活指導の一環で自家生産味噌が推奨されてきたんだ。
全ての製造設備は農協が備え、自家生産の米を持参して麹を作り、大豆も有るだけ持って、不足分は農協から購入して賄った。
時期が来ると農協が希望者を募り、割り振られた日程に合わせて作業をするんだね。
自分で希望する数量に合わせて仕込み容器持参、後は持ち帰って醸成させるんだ。夏の土用が来ると天地返しをするんだね。
この形が暫く続いてきたんだが、数年前(10年も前だったろうか?)に、食品安全衛生法に触れるってんで、専門の農業法人がそっくり負かる様になったんだね。
以来、実作業は無くなり、仕込み味噌だけ注文で届く。
天地返しだけは前と同じでババがするんだね。以来、今日に至るってわけよ。
もう一つ、皮が破れた太鼓と、膳椀が有るんだが、長くなるので続きって事にするよ。