18日に「お日待ち」があった。
「お日待(ひまち)」で検索すると、膨大な数が表示される。地方によって、時期や行事のやり方も様々で、内容を覗くと面白い。
以前にも、2度にわたってご紹介したが、何れも「お日様」に起因している事が見て取れる。
わが地方の「お日待ち」は、概ね新年を迎えた1月中に行われ、公民館や神社に集まって行われるようだ。
調べてみると「日待(ひまち)」とは、集落、一族の人々が、前夜から一定の場所(本家、神社、公民館等)に身を清めて集まり、日の出を待ち礼拝する行事であったらしい。
仏事の要素よりも、神事に近く、自然の恵みを生活の全てにゆだねていた時代、太陽は神(太陽神)として祀られて(日天)、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、無病息災などを祈願する行事だった。
最近のわが地方の「お日待」は、おこもり(一夜を明かす)は影を潜め、集落、一族が一同に集まって、山伏や宮司、真言系の僧侶等により祈祷が行われているようだ。
太陽信仰の「日祭り」から、次第に仏教と結びついて「日待ち」になったそうだ。
我が家は真言宗である。真言は高野山に代表されるように、元祖は「空海(弘法大師)」、山伏系の要素も兼ね備え、神仏両面のご祈祷をしてくれる。
毎年、1月19日が我が家の「お日待ち」の日と決まっていて、菩提寺の僧侶が訪れて、お経を上げ、厄を払ってくれるのだ。
太陽神の日天様、荒神様(火の神)、水神様(水の神)をお祀りし、神棚に祀ってあるお稲荷様、金毘羅様も一緒に祀り、年回りの悪い人は厄除けも別途に行ってもらっている。
それらを総称して「お日待ち」と呼んでいる。
今年は、お寺さんの都合(19日に葬式のため)で、一日繰り上げて昨日(18日)に行われた。
僕の幼少の頃は、方丈様(僧侶)が徒歩でお日待ちを行っていたために、泊り掛けで回っていた。
泊まる宿も決まっていて、我が家も廻り順でお泊めする宿になっていた。
夕食前に訪れて、お勤めを済ませ、お風呂に入って夕食となる。方丈様が父親と一緒に晩酌をしていた記憶がある。
泊まると、翌朝は仏壇に朝のお経を上げてもらえるので、あり難いことだったに違えない。
昨今は車社会、車で回るから食事や宿の習慣はなくなった。
蕎麦屋になって7回目の「お日待ち」である。商売繁盛の文字がお札に加わって7年が経過した。
未曾有の不景気、お札のご利益に祈りを込める。
http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20071202
http://d.hatena.ne.jp/bokusian/20080118