☆杉野シズ人形展
展示期間:2011年9/1(木)〜9/15(木)
開館時間:AM10:30〜PM5:00
会 場:ギャラリー竹山館
長岡市竹之高地町2346番地 TEL 025−23−2532
問い合わせ:原ホーム TEL.0258−22−1065
地 図:蓬平温泉(よもぎひらおんせん)を目指してください
展示作品の一部:
建築したての館内に入ると、お婆ちゃんがお迎えしてくれる「いらっしゃいませ ごゆっくりどうぞ」その仕草は、まるで本物の様だ。お召し物も素晴らしい!なかなか品のあるお婆ちゃんだ。
「ぬいご差し火箸にからめヤニを取る」。「ぬいご」とは、稲穂を支える桿のこと、刻み煙草はキセルで吸っていた。キセルの空洞にニコチンのヤニが付着するため、細いぬいごを差して掃除するのだが、差したぬいごに真っ黒に付着したヤニを火箸にからめて取っていたんだね。なんとも、懐かしい言葉だ(写真左上)。
写真右上は、窯のススを包丁の背で掃除する主婦。御飯は薪で焚いていたため、窯の底には真っ黒のススがいっぱい着く。包丁の背を利用して、けそぐ様にススをけ削ぎ取っていたんだね。僕等の年代は、懐かしい光景だよ。
写真は、どれもこれも当時の一般民家の日常生活、石臼(いしうす)の上で雑穀を潰して、団子を作る親娘。木のタライで産湯を使う赤ん坊、割烹着は産婆さんか?赤ん坊も気持ちよさそう「口つぼめ 気持よさそに産湯する」、傍で見ているお姉ちゃんも嬉しそう。
おんぶ帯でタスキ掛けに背負われ、首を折って眠っている赤ん坊、当時の子育ては仕事をしながらの合間保育、人力作業で忙しく働く主婦、戦後の日本の復興と繁榮を築いた日本のお母さんの姿だ。
一歳の誕生日を迎えると、一升餅を風呂敷に包み、やっと歩き出した子供に背負わせる。その昔から、背負って歩くと健康で育つとの言い伝えがあって、最近でも慣習がある。我が家のババも、十五夜の餅を用意するにあたり、親戚の赤ん坊が近々一歳の誕生日を迎えることを認識していて、一緒に餅屋さんにオーダーするらしい。
「あの頃はシラミがいてもあたり前」、娘の頭髪に宿したシラミを捕る母親、不衛生の戦後の日本、ノミやシラミは当たり前だった。僕等も、小学校の当時は、女の子は頭にDDTという殺虫剤(白い粉末状のパウダー)を掛けられて、真っ白になった記憶がある。もう、五十数年も昔の思いで、懐かしい昭和の現実だ。今では考えられない荒療法だ。
形あるものは、必ず劣化したり、災害等に遭って変形したり破壊する。
築き上げたものは、何時の世か滅亡する。それは、歴史が物語る。
生物の営み、人間の営みのサイクルも、如何ほどかの長短は別にして必ず起こってくる。
戦後の瓦礫の中から這い上がって、牛馬の如く働き、長い年月を掛けて築き上げてきた繁栄。その期間が、あまりにも長すぎたから忘れていた。
みんなで築き上げてきた戦後の日本、想像もできなかった頂点にも這い上がった。
ちょっと有頂天になりすぎた。過酷な歴史を忘れていた。
上がれば下がる。同じ形で上がり続けることは、絶対にないことを忘れて、ある日突然(兆候は確実にあったが、ドップリ浸かって気が付かない)、泡となった。
浸かりすぎた分、受けた傷も大きい。致命傷だった。
術後の手術も思わしくない。特効薬も効かなくなって、新薬の開発を待っている有様だ。モタモタすると身障者寸前だというに、いまだ手術を受けられない有様なんだ。
そんな悲惨な状態の中、今度は半年前に大病を患った。長年、節約して貯め込んだ僅かな貯いも底を突いた。
はて、どうしよう。破産寸前の状態だ。
昭和の人形が教えてくれた。
もう一度原点に立って、ドジョウのように泥臭く生きなさいって?。
再びどん底、歴史は繰り返す。人形は知っている。
人形は物語る。軸足をしっかり据えて、ぶれずに、目標を定めてビジョンを持って、しっかり前を向いて進みなさいと。
かなり違うのが、相当ブレたのが、今の政治じゃと。
困ったのう、ドジョウも囁いた。
そう言えば、先般の水害で未だに川の水が濁る、泥臭い!
あんまり濁して、泥臭いのもこりごりじゃて。小川の水は奇麗な方が一番じゃて。懐かしい昭和の人形に当時を偲び思いを馳せる。