牧之庵から閉店の御挨拶 御案内の通り、牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」をもちまして完全閉店となりました。      お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろすことになりました。 これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ、5類に移行したとは言え未だ終息の気配がありません。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~.   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。兎に角、能登だけは、何があっても最優先、一時のロスタイムは許されないぞ! 先ずもって、この度の「能登半島地震」に遭われた能登の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。       お亡くなりになられました多くの御霊に謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌ー   トップ画像を替えました。これは、我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫. 題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真をつかいました。

閉業後の「今日の庭・今日草花」                   (2019年~のこと)(3)

※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

2022年(令和4年)・2023年(令和5年) 

      画像に残る庭先の花たち

 

2022年(令和4年)    ミズバショウ」↓

          ↑ (2022.3.30 撮影) ↓

         小川(流れ)の縁取りに小石をあしらう 

  「スミレ」↓

           ↑ (2022.4.25 撮影) ↓

 

  「プリムラ」↓

           ↑ (2022.4.25 撮影) ↑

 

 ☆参考までに「過去の記事の貼り付け」↓ (2012.5.1の記事) 

bokusian.hateblo.jp

 


2023年(令和5年)    「藤の花」 ↓ 

          「藤の花」(2023.5.7 撮影) ↑

      「白花の競演(ウツギヤマボウシ・池の縁はカラーの花)」

    上から見下ろすヤマボウシ↑ (2023.5.23 撮影)

閉業後の「今日の庭・今日の草花」                  (2019年~のこと)(2)

 ※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

        2020年、画像に残る庭先の花たち

            (2020年5月15日 撮影)

   レンゲツツジ(馬ツツジ↑      レンゲツツジシャガの花 

  満開のの花    池の縁のリュウキンカもまもなく黄色の花を魅せる ↑

 

 

       ヒメウツギ ↑        サクラソウに背後はコデマリ ↑

春先に屋敷周りの大木を伐採した(手前の切断木は薪用に親戚の家が持って行く)  

「ちょっと俺様の前で美観を損ねるよ!」白花の平戸ツツジが睨んでござる。

 

最盛期に比べたら、見る影もなくなったオダマキ、殆どが西洋オダマキだ。数多くの種類が育っていたが、今や消滅して僅かに残っている程度だね。

         (2020年5月15日 撮影) ↑ ↓

今やこの種類のオダマキが勢力を伸ばし、あちらこちらで縄張りを拡大してる 

植物の世界も、中東のどこかと似ていて不思議なお国だ。(1)で記した様に「ホタルブクロ(蛍袋)」と同じで同族(同属)、縄張り争いの強い世界なんだね。勢力の強い品種、争いに勝ち残った種属が生き延びている。種子がいっぱいできるので繁殖力は旺盛なのに不思議だね。仲良く生きられないから、ちょと寂しいね。

中央斜めには小川の中にミズバショウの葉っぱが繁茂、その周辺にはピンクのツツジ類が満開だ。中央付近の白い花はオオデマリ

閉業後の「今日の庭・今日の草花」               (2019年~のこと)(1)

※その後(廃業後)の庭先はどうなってきた?

    2019年(令和元年)画像に残る庭先の花たち 

       

庭先の春はミズバショウの可憐な白い花から始まる

その年の春先の寒暖、残雪の多少には余り影響を受けないで、いち早く春を告げる

                      (2019.3.17 撮影)

ミズバショウ」の花が咲くと「ああ、春が直ぐそこまで来ている」と、気持ちも春が訪れ、明るく柔らかく温かくなってくる。

 

やがて、若葉が萌えツツジが咲き、地上ではシャガ」が清純な白い花を魅せる ↓

 朱色の花はレンゲツツジ、当地では「馬ツツジ」と呼ばれている。

            (2019.5.14 撮影)↑ ↓

シャガ(射干)が花を咲かせ、全開となると夏の臭いが感じられる ↑

 

蛍と「ホタルブクロ(蛍袋)」、夏を知らせる初夏の花。蛍とゼットの魅了の花だ ↓

             (2019.6.22 撮影)

過去のブログ記事にどれ程登場願ったことか、庭先には幾種類もの「蛍袋」が育つ

色は白色と紫色、花は一重と八重がある。八重の花は改良された園芸種。こいつらは、縄張り意識があって、勢力の強いものが周りを制圧する。右上の画像に白の花が3個ほど見えるが、やがて紫に陣取られて退化するだろうね。     

           (2019.6.22 撮影)↑ ↓

花弁を見ると、白色が寸胴型で紫色は細長型、一般の野生種は下の種類が多い。白色も紫色の花も、混植のためか、両方の形状がある。花の形状も八重と一重、寸胴と細長、どちらの色にも、双方の特色を表すんだね。ホントに観察してると面白いんだ。

 

牧之庵、廃業後の大仕事(3)

※次は、一般住宅への復元工事

    2021年(令和3年)のこと

 

牧之庵廃業の翌年(2020年)に、母屋の塗装作業をしたことは、前日のブログに綴った通り。次に待っていたのは「店舗を一般住宅に戻すための復元工事」なんだね。翌年の春から早速、店舗として改造して使っていたエリアの解体作業を着手したんだ。

解体前の白壁に落書きをするチビッコ達 ↓

この部屋は、客間と厨房の間にあり居間として使っていたんだ。和室を洋間に改造する事になっているので壁はジッチャマが解体する。新型コロナストレス対策にと、チビッコ等に解放したんだね。チビッコお得意の壁画、喜んで大作に挑戦だよ。

                       (2021.4.2 撮影)

☆さていよいよ解体が始まった         落書きした壁もなくなったよ ↓

                      (2021.4.30 撮影)↑  

 居間から厨房をみる。内装材を剥ぎ取り撤去、それぞれの仕上げに沿って作業をする。厨房機器も殆ど片付き、後は専門職にバトンを渡す。

         こんなに綺麗に出来ました(2021.11.27 撮影) ↑

全く関係ない戯れ言。上の画像はテレビで大相撲が映っているね。この写真を撮った日付から調べたら(ホントに暇なんだね!)2021年11月場所(九州場所・福岡国際センター)だったよ。11月14日~28日まで、この日は11月27日だったから、14日目だったんだね。ちなみに横綱照ノ富士が全勝優勝していたよ。(ひま~~~)

14日目って土曜日だよね。チビたちがDKで何か食べてる。ババが何かしてる?。手前のテーブルには黒い器が?これってジジが使ってる焼酎のお湯割用なんだ。ジジは芋焼酎を頂きながら相撲観戦だね。

上部の棚も取り壊し、天井を含み内装を剥ぎ取る。厨房は機器や小間物が多くて、片づけ処理も大変なんだ。フライヤー、シンク、調理台などはリサイクル業者が引き取る。

厨房、居間は「ダイニングキッチン・リビング」になるんじゃそうだ。床はフローリング、二重サッシに二重ドア、断熱処理をして全部洋間に生まれ変わるんじゃと。ジジの仕事は4月中に解体を済ませ、5月の連休明けに専門業者に渡す。お盆までに、他の工事も全て完了させる計画なんだね。イヤ~もう、雑事様も雑事続きでご満悦。

 

☆居間の解体 ↓

   ↑ 作業前 (この間はリビングになる) 畳を剥ぎ取り、洋間に変わる 

 

   厨房から居間を見る。手前が「ダイニングキッチン」奥が「リビング」に 

この度の「復元工事」に併せて、子供部屋の新設(二部屋)、和室の改造をすることになっていた。子供部屋を二部屋作るに当たり、一つはジジがこれまで使っていた部屋を開放して改造する事になったんだね。だからジジは、どこかに隠れ家を探さなくっちゃ!そこでジジは奮起した。「よっしゃ、そんならば自分で作っちゃおうか、今流行のDIYとかで?」 隣り合わせで、使っていない和室がある。8畳に3畳+押し入れのついた部屋。隠れ家にしては広すぎるが、空室はここしかないんだね。お姉ちゃんは、昔の応接間(8畳)を改造して使い、チビ助がジジの隠れ家(6畳)を使うそうだ。店舗関連の解体作業を終えて、二階のジジの隠れ家を解体し、お姉ちゃんの部屋に予定されている昔の応接間の一部解体をして全部終了。

最後に、ジジは自分で使う「隠れ家」の改造に仕掛かった。

ジッチャマ「DIYによる部屋の改造」 和室をフローリングに壁をクロス張り ↓ 

                         (2021.4.10撮影)

今始めているこの部屋は、8畳の日本間、3畳(フローリング)の広縁と押し入れがある。これを、和洋折衷の日本調の部屋に改造。畳はフローリングにして、壁は断熱材を下地に張って、クロス張りにする。フローリングの下に断熱材を張って気密を高める。押し入れは、クローゼットに作り替える。

上の写真は、既存の白壁の上に桟木をつけて、その間に断熱材(青色のスタイロフォーム)を張った状態。この上にクロス張りの下地を張る。柱と回り縁、長押は露出させるため、壁と前面の寸法の関係で、石膏ボードは使えずベニヤ板を張る(写真下の壁面)

写真の状況は、床の作業。畳を剥ぎ取り既存の床の上に防湿気密シートを貼った状態。シートの継ぎ目は気密テープで接合(写真)。その上に貼る根太が置かれている。定寸法に配置された根太の間には、断熱材が入る(壁に貼った要領で)。その上に、フローリングを貼るための下地(ステ貼り材、コンパネ)を貼り、最後にフローリング材で終了。ジジは、このDIYを完璧に仕上げるためにYOU TUBEで懸命に学習したんだよ。

 

クローゼットの扉は、インターネットで訳あり品をゲット、ビックリするほどの安値で手に入れた。 ↓    

訳あり品でゲットしたクローゼットの扉   訳ありとは右上の傷 ↑
黙っていれば全然気づかない。こんな傷、補修は簡単なんだけど気にならないから放りっぱなし。ちょっと値のはる物で、タイミング良く当たればお買い得だよね。

牧之庵、廃業後の大仕事(2)

※先ず手始めの「母屋塗装作業」の成果は?

      2020年(令和2年)の出来事から

         (3月25日記事の続き)

 塗装作業の奮戦記は前日記事の通りだが、この年(時期)未曾有の暑さ(熱さ)との戦いだった。わざわざ、そんな時期を選定して実施した危険を伴う高所作業、施工計画の甘さを指摘されても仕方なかっぺ。そんな悪条件の中、雑事様は「何だってんだい!この程度の暑さが」ってな事で、ものの見事に塗りあげちゃったとさ。

 

この入母屋のスレートに塗装をするのは、2014年(平成26年)以来2回目。初めてじゃないので手順は熟知しているんだね。だけど、お年を召しておられるから、こんな高所作業は危ないから「気を付けろ!安全第一」、ちょっとは暑さが和らいできたらしく、掃除を始めた雑事様。(2020年の晩夏~初秋)

下の写真は、雑事様の仕事の成果なりよ、どうです、綺麗に仕上がったでしょう? ↓

通常の足場では対応できない入母屋、しゃくれのついた屋根勾配、軒下の細かい垂木と白色の塗装は庇との間隙が狭いので、庇の屋根(ちょっとだけ雪がある場所)に寝転んで塗装するんだけど、イヤ~もう窮屈で大変な作業なんだね。やる人にしか分からない忍耐との勝負。大屋根の天辺(ぐし)には、細かな模様が施され、その隙間には鳥の巣(スズメやムクドリ)がいっぱい、その掃除も大変な作業量なんだね。綺麗に掃除した後は、細かな部分のペンキ塗り、想像以上に目には留まらない部分の作業がいっぱいあるんだね。こうして仕上がった姿を見ていると、作業の重大さが手に取るように分かるから、余計に素晴らしく見えてくるんだね。凄く素晴らしい仕事、完璧だ!

妻側の部分も、入り込んだり細工が施されたりで、塗料も鬼瓦、妻(三角形の部分)の化粧貫、白ペンキと、この部分だけで錆止めを含めて5種類の塗料を使う。大屋根の軒下も、細かく化粧垂木が入っていて、白色(漆喰に見せるため)の塗料で仕上げる。黒っぽい壁板は「キシラデコール」という防腐剤で、2回の重ね塗りをする。

全て終了して足場も撤去された。雑事様が一人っきりで完了させた大仕事。専門業者じゃないから儲けはいらない。手間は自由で際限なしだから、完全に錆や不純物等を掃除し下地補修もして、塗料は良質なものを使って丁寧に仕上げる。これで自分が納得出来る仕事ができるから、文句のつけようがない。だから、素晴らしい完璧な仕事よ。

全てが終わって足場を解体。我が家常連の工務店からリースした足場材料だから、綺麗に掃除して返品。半年近くも掛けっぱなしだったから、少し錆が出ているところもあったんで、錆を落として錆止め剤も施した。返品中の足場材、此所に残っているのは半分くらい、こいつは全部、手積み、手下ろし、軽トラックで運搬だった。

年が明けて初雪が降った。雪中のペンキ塗り立て館は特段に美しい。新雪に照らされて輝きを魅せている。

牧之庵、廃業後の大仕事(1)

※先ず手始めは「母屋屋根.外壁の塗装作業」

    2020年(令和2年)3月~8月頃のこと

牧之庵の閉店が2019年(令和元年)8月15日。廃業後には待ち構えている大仕事(工事)が三つほどあったんだね。一つは「母屋屋根、外壁の塗装工事」、もう一つは「店舗から一般住宅への復元工事」、三つ目は「復元工事に併行して子供部屋などのリニューアル」だったんだね。

先ずは塗装工事。  雑事様がお一人でやるんだと張り切ってござったから、家族に身の安全が第一だと促され、注意勧告を受けての大仕事なんだね。

作業状況については、当時のブログで何度か記事にしたが、この年の暑さには予定を大きく狂わされた。外壁の塗装を終えて屋根に移ろうとした矢先、ものすごい暑さに襲われて、とてもトタン屋根には上がっていられない。フライパンの中に入ってるほどで、火傷をしちゃうほどだったね。やむなく中断、時期を遅らせての作業で予定を大幅に遅らせての終了。もう一度、足場の組み立てから戻って作業検証を。

これだけの足場材、4段の鉄枠を運んで、一段ずつ組み上げて、組払し撤去まで全て一人作業。仮受けも出来ないから、手間も掛かっちゃう。足場が終わって、いよいよ本番の外壁塗装。板材が張ってあり防腐剤が塗ってあるので、古い劣化した塗料をブラシで擦り落としブロアーで吹き飛ばす。今回塗る塗料は「キシラデコール」という防腐剤の二回塗り。下部に(庇の屋根、室外機など)垂れ防止をしてから作業に入る。壁面を塗りおえたら、出窓部分の塗装をする。この部分は出窓の木板枠、屋根の飾り垂木などの細工が施されているので手間が掛かる。これらの塗装が終えたら、最後に下部の庇屋根を掃除して下地に錆止め剤を塗ってから本塗装の二回塗りで仕上げる。折角、足場を組んで上部作業をする序でに、全ての部分の掃除や、スズメなど鳥の巣の撤去、コウモリのねぐら退治、白壁の補修、柱の化粧塗装なども施してから下りてくる。 

こちら(北)側は、一階右側から浴室(電気がついている)、厨房(台所に改造する)、トイレ、亡くなったおばあちゃんの部屋(改造してお姉ちゃんの子供部屋)、二階は牧之庵時代も居住スペース。残すは、屋根の塗装工事。だけど今は、あっちゃくて上がれないんだ!ちょっと休止じゃて。壁面塗装は完了、綺麗だね~。

さて、問題は入母屋の元客間の作業じゃよ! なんたって、入り込んで急勾配、どうして足場を掛けたらいいんよ? 思案の末「梯子戦法」、屋根添えにアルミハシゴを勾配なりに沿わせて作業することに。

ほれ見てくだされ!アルミのハシゴに上って、軽やかに前掃除をする若武者?だけど、この作業もたいへんなのよ。水洗いをして、錆び落とし、錆止め剤を塗って、本塗り塗装。おまけに、この時期は鉄板焼きにされちゃうような暑さ、熱さ、なんじゃったよ。塗装は刷毛塗り、振り返って「よう頑張ったね~、お兄さん?」ごもっとも。されど、夜には冷やし水がいっぱい要っただろうね。なに?そんなことないってか?

さてと、その成果は? 長くなったからネタ持ちと、勿体ぶっての先延ばし...??

これまでの空白(不記)孫ブログを埋めちゃうよ!         「2020年(令和2年)」のこと

※ちょっとジジババと長岡へお出掛け

2020年(令和2年)6月6日・7月9日・9月5日のこと

 

☆6月6日・チビ助一人だけで  ↓

この頃の我が新潟県は、4月に緊急事態宣言が発出、5月には解除されていた。

1月に日本初の感染者が確認されて、2月にダイヤモンド.プリンセス号で10人ほど確認されて当時は大騒動だったね。3月にはオリンピックが延期、4月に初回の緊急事態宣言が発出、感染拡大は急速に勢いを増し5月になったら、16,000人、670人ほどの死亡者が出たんだね。「志村けん」さんがコロナの肺炎で亡くなったのも3月29日だったんだね。

こんな中で、親の許可を無理やりとって孫を連れ出していた、危険きわまるご老体が居てござったとか。そんなことないよ!いくら馬鹿ジジババでも大事な孫をそんな危険に晒すはずがなかろうて。事態をしっかり見極めて、安心安全を確信してから孫のコロナストレスを解消してあげる。

ジジは悪い言い方すると、あんな時期は確実に人の流れが止まってるから、営業をしているならば、ベストタイミングだと、ずる賢く読み取ったんだね。誰も居なくちゃ感染拡大は無い。読みの通り、画像の通り、お客さんは殆どいない。ホントに申し訳ないくらいの空き空き状態。貸し切りだったよ。ほらね、お客さん見つけるのが大変よ ↓

今日はお姉ちゃん来られなくて僕ひとり 誰も居ないのって、ちょっとつまんないね

    何処に行ってもひとりぼっち、お姉ちゃんが居ないとつまんないよ 

↑ やっとひとりだけお友達が来たよ 僕はマスク無しだけど アレってしてるね 

 

☆7月9日 ・ 新型コロナの感染拡大が続く中? ↓

「三密、三密じゃい!」お姉ちゃんと一緒。今日はちょっとだけお客さんがいるから、マスク着けよう~と。それでも貸し切り状態よ、遊んでるお友達だ~れもいないよ!

 おんまさんパカパカ、お姉ちゃんの貸し切りお馬、どれに乗っても空き空きよ ↑

ラーメン食べて、             ババちょっと来て、あれがいいよ 

今度は氷 ちめたい!おいちい! ↑


☆9月5日

緊急事態宣言は出てません(5/14解除)マスクが不足しがちです。 ↓
でも大丈夫、今コロナストレス発散中

 

 チビッコ等が大好きなトランポリン 誰も居ないけどマスクして感心感心 ↑ ↓

これまでの空白(不記)孫ブログを埋めちゃうよ!

※ちょっとジジババと長岡へお出掛け

   2019年(令和元年)10月23日のこと

  トランポリンする前に、ちょっと🍵タイム(2019.10.23 撮影)

 

牧之庵を廃業して2ヶ月、取りあえずの自由時間をタップリ手に入れたジジババは孫のお休み日と、パパママの休日を見定めて孫の連れ出しを狙っているみたい?

この日がベストチャンス、親に了承を得て作戦開始。「ジジ、何処に行く?」いつもの誰かさんの問い?この時期は、まだ新型コロナの発生前、大手を振って動ける時期だった。しかし・・・・・・・・

 オープンしたてだから、お客さんが少ないから良いね。お姉ちゃんは貸し切り状態

新型コロナの発生ちょっと前にオープンした、このチビッコランド(何という場所かジジはさっぱり分からないが)、新型コロナに振り回され、我らも同時に振り回された。ああ、良いとこ見つけたなと思いきや、コロナの感染拡大の煽りを受けて開店休業。なんてタイミングの悪い時期にオープンがかち合ってしまったんだね。
我が家のチビッコ達も小学生になる直前だったから、コロナ感染全盛期と絡んで、コロナが安定期に移行したら、小学生になって年齢的にこの場所からは卒業時期となった。お姉ちゃんが大好きだった「トランポリン」、今はもう、すっかり卒業、思い出を作る前に没になって、コロナと共に忘れ去ったようだね。だからジジは、記録に残す。

チビたちに画像としての思い出を残さなくっちゃ、ジジババの折角の真心が無駄になる。記憶を残すほど行きもしない。行く前に年齢的に行けなくなった。新型コロナに全てを飲み込まれてしまった。にっくきコロナめ、記録までは消させまい。

暑さ寒さも彼岸まで

※往生際の悪い冬、勝手すぎる冬への悪評

 ☆参考までに「過去の記事の貼り付け」(2024.2.20)

bokusian.hateblo.jp

上に貼り付けた「過去の記事の貼り付け(2月20日の記事)」この記事の状態から今日まで関東方面は春の嵐で荒れ狂っていたようだが、我が地域も風が強い日が多く、連日小雪が降っていた。降っても20センチ以下で、風が強いから雪量は増えずに、いつ無くなっても止むなしの状況だった。学校も春休みに入ったから、スキー場はこのままで維持したい。「往生際の悪い冬」とは言わないから、もうちょっと頑張って適当に冬を続けて欲しいよ。勝手すぎるけどお願いだからね。

           ↑ (2024.3.21 撮影) 

春の彼岸も明日(3月23日)明ける。

この時期の豪雪地、南魚沼地域では年によって残雪量が極端に差があり、2メートルも積雪があることもある。極端な暖冬の年では、「あれ?此所って雪国なの?」って、錯覚しそうな年もある。この後、雪国特有の春先仕事が待ち構える。その手始めは、車のタイヤの履き替え、植木や構築物の冬(雪)囲いの撤去なんだね。ホントにこればっかりは何の生産性も無い無駄仕事、遣り甲斐が無いって言うか、つまらない仕事なんだね。ところがだ!時折、春の気まぐれ天気に惑わされるんだよ。

ある年のこと、タイヤを取り替えた翌日に人間ドック(ババと二人で)があった。ところが30㎝程の降雪に見舞われ、高速には乗れずやっとの思いで走行したのを、強烈な記憶として残っている。

これまでに綴ってきたブログを開いてみると、この春先、この時期には定まらない気候に振り回されてきた。

季節風が強くて乱れるから、風も強いし気温差も大きく、見定まらない雪が舞う。

「冬来たりなば春遠からじ」「春に三日の晴れなし」「暑さ寒さも彼岸まで」「三寒四温・寒の戻り・名残雪」「往生際の悪い冬」(これは自分が勝手に作った戯れ語)等々、この時期に纏わる諺などが多くある。

閉店から5年、元牧之庵はどうなってる?

※閉店後の牧之庵を訪ねて

 

かつての「純手打ちそば処・お茶処 牧之庵」は、2019年(令和元年)8月15日に暖簾を下ろし廃業した。早いもんで今年の夏で丸5年が経過する。

牧之庵は現住住宅を店舗に利用するために改造して営業してきたから、廃業後には一般住宅に復元するための工事が待っていたんだね。二階部分は居住部分だからそのままだけど、一階は店舗に掛かっていたから、浴室を除いた全てを元に戻した。

☆その足跡をちょっとだけ回想して  

(写真下)玄関を入って真っ正面、よく見ると上に長押(なげし)、欄間(らんま)がある。更に、下を見ると畳が敷いてあるし、敷居と鴨居がある。と言うことは、ここには以前(牧之庵を開業する前)は、建具が填まっていたって事だ。そうなんですよ、ここは12畳の日本間で我が家の居間だったんですよ。開業に当たり店舗に改造し、一間(1.8メートル)セットバックして間仕切りをしたんですよ(手前の建具は外して、バックした間仕切りに建てた)。上の奥に黒っぽい梁が見えるが、2メートルほどバックして間仕切りしたんですね。バックして生じた空間が「帳場、ババが花をあしらうお遊びの場所、皆さんの趣味の作品を展示紹介する(皆さんの趣味のコーナー)」だったんですよ。

    ↑ 改造前   「内玄関・お帳場・皆さんの趣味のコーナー」↑  

 バックして生じた空間が「帳場、ババが花をあしらうお遊びの場所、皆さんの趣味の作品を展示紹介(皆さんの趣味のコーナー)」だったんですよ。

        「内玄関・お帳場・皆さんの趣味のコーナー」 改造後 ↓

      「内玄関・お帳場・皆さんの趣味のコーナー」  改造後 ↑

令和3年中に完全復元、リニューアルを終えて、今はもう店舗時代の感覚は消え、完全に我が家に定着し一般民家に復元したってことよ。なんじゃないんよ。昔の状態に戻しただけなんだね。唯、復元に当たり、旧来の日本間を洋間にしたんだね。畳敷きをフローリングに変えた。昔の厨房と隣り合わせの部屋だったから、今回の復元工事に合わせて、リビングとダイニングキッチンに変身した。

使っていた客間は、テーブルや小間物、装飾品を撤去する程度で済んだ。開業当時に外した建具は、そっくり保存しておいたから、襖戸等は掃除して建てるだけで済んだ。大掛かりは、厨房をダイニングキッチンに復元する工事だった。居間、帳場関係等は、復元工事に併せて子供部屋等のリニューアル、リフォームをしたから、結構大掛かりな仕事になったんだね。

          

玄関まわりは殆ど昔のまま、ゴチャゴチャした飾りもんが片付き整然としただけ。何はともあれ、これが昔の我が家なんだね。牧之庵の開業に当たり、特別に変わったことをしていないんだね。以前からしてきた事を、そのままの状態で開業しただけなんだね。だから、店を閉めても昔の状態に戻っただけなんだ。

      ↑ 閉店前    「内玄関」      閉店後 ↑

       閉店前     「昔の客間」     閉店後 ↑

       ↑ 閉店前    「昔の客間」    閉店後 ↑

     ↑ 閉店前   「昔の客間」     閉店後 ↑ ↓           

               「今の客間」 ↑ ↓                        

              「今の客間」  ↑ ↓ 

              「今の客間」  ↑ ↓ 

             「今の客間」  ↑ ↓ 

              「今の客間」  ↑ 

これまで写真で綴ってきた画像(写真)は、元に戻した我が家です。なんだい?閉店前の牧之庵、そのままじゃないの? そうじゃないんですよ。現況(当時、生活していた環境、生活感)を、そのまま生かして、有りのままの姿の中でお客様と接したい。それが、開業当時のジジババの理念なんですよ。

だから、こうして画像(写真)で改造前、改造後と対比しても何ら変わりがないでしょう。それは牧之庵も、我が家も一緒なんですね。牧之庵時代も、以前の我が家も、そして閉店後の元牧之庵(我が家)も、なんら変わりがないんだね。