昨日は、養豚経営の挫折についての戯言を書いた。
畜舎から作業所に代わってから、数年に渡って農地の区画整備は急速に進んだ。
同時に各集落に構造改善事業の一環として「営農集団」が出来た。
「生産組合」と言われ、農政の補助事業で部落単位、仲間単位で大型農業機械を備え、施設の伴う農作業を組合員で行う集団組織だ。
当時は農業後継者育成資金(無利子)という融資制度があって、贅沢なほどに資金を融資してくれた。
「富隆農場」もそれらの資金を有効に活用し、需要に合わせ設備を整えて行った。
当時はまだ閉鎖的な農村社会、農業の受依託形態は全くと言ってなかった時代。我々は作業受託から着手した。
育苗、トラクターによる耕運作業、田植、コンバインの刈り取り、籾の乾燥、籾摺り作業だ。
次第に作業依託農家が増えてきて処理仕切れないほどになっていった。
しかし、当時の機械は開発途上、性能も悪く故障も多い。修理屋も初めての機械で部品調達も遅く、技術的にも未熟だった。
一番のネックは区画整備で広くなっただけの圃場、当初の工事技法は全く粗雑で基盤が悪いために排水が悪く、足回りの悪い機械は、その年の天候次第で極端に効率が左右された。
水管理の悪い田圃では、抜かり込んで動けなくなることは頻繁に起きた。それでも、昼夜の時間必死で働き処理して行った。
今考えると、当時の機械で想像も出来ないほどの面積を消化した。しかし、ここにも時の流れが、じわじわと変革をもたらしていた。
生産組合組織が各地で結成され、今まで我々が受託した農家までも取り込んで進入してきた。
籾の乾燥、調製(籾摺り)の作業には、農協のライスセンターが建設され、大口を一手に取り込める能力を備えた。
前途目標にしてきた「耕作完全受託」の夢は、図らずも国策の「構造改善事業」の前に屈した。
本来は農業後継者を育てる為の施策でもあったはず、矛盾にも、当時果敢な後継者が、またしても時の「時代背景」に飲み込まれた。
勿論、無策で先を読み取れないでいた我々に最大の非があったが、今思うに、結果の正否は「時の運」と「時代背景」に大きく左右されることを嫌と言うほど知らされた。
歴史は繰り返されると言うが、最盛という時期はほんの僅かで、必ず衰退がある。
今は良くても明日は?人生はこの繰り返しかも知れない。
強がりではないが、だからこそ、人生は生き甲斐があって、おもしろいのかも。
失った物も多くあるが、一度の人生、打算では計りきれない多くの感動と満足感を蓄積した。
時代背景と共に40年余、幾たびの変動を見つめてきた「作業所」に、己の思い出が重なって感慨深い。
十数年前の豪雪で、増築部分の半分は倒壊してしまったが、残っている部分も特別何をするでなくガラクタ小屋に変貌、外観はボロボロで見るに忍びないが、これからは暇を見つけて楽しみながら補修したい。
出来得れば、露天風呂でも作って昼間から薪を燃やして風呂に入ったり、囲炉裏の間を設けて思いっきり薪を燃やしながら好きな仲間と飲み語ったり、趣味の工芸でもして過ごせたらいいなあ〜と思ったり。
もう一度、この作業所にお世話になるかも知れないから維持できる内は残しておきたい。
しかし、自分と同じで随所にガタが来た。