越後のそばと言えば、「へぎそば」が総称する。
「へぎ」とは、主にそば等を盛り込む長方形で平べったい木製容器のことを指す。
従って、本来「へぎそば」とは、へぎに盛られたそばのことだが、越後では、本場十日町、小千谷等を筆頭に 「布海苔」を使って打ったそば自体を「へぎそば」と呼ばれているようだ。
その「布海苔」なる物は、ワカメやエゴ草と同じ海藻で、産地は日本全国、北海道から九州に至る全域で採れるそうだ。
刺身のツマに千切り大根やパセリ等と共に、紅紫色で一際目立つ海藻が添えられているのを見掛ける。
蕎麦屋が繋ぎとして使用する物は、それを乾燥した物だ。
一般に「ふのり」と言えば、まず貼り付ける「糊(のり)」を想像するが、あの「布糊」も同じ物だ。
子供の頃、古い着物を解いて、洗濯をして布糊を付けて洗濯板に貼り付けて干している光景を、我々の年代層の人には懐かしく甦ってくるであろうが、あれに使った糊は、布海苔を天日漂白して「板ふのり」した物。
我々が、昔目にした光景は、この「板ふのり」を水と共に煮て溶いた物だ。
舌切り雀に出てくる「糊」だ。
蕎麦屋で使う「布海苔」は紅紫色の藻を漂白せずに水洗いして乾燥させた物で、やはり、紅紫色をしている。
これを水に浸して塩分や砂を綺麗に濯ぎ落として、湯煎に掛けて糊状に溶かして冷ましてから冷蔵庫で保存し、適宜小出しして使用するのだ。
溶かして糊状になった布海苔は、赤見が取れて薄緑色に変わる。
そば屋で使用する乾燥した布海苔 湯煎して溶かした状態の布海苔
昔から塩沢も織物の産地だが、越後は雪との関わりで織物が盛んだった。
取り分け、この魚沼地方は、豪雪の立地から主要産業として担ってきた。
生地の糊付けや、原糸の固定に「布糊」が活躍した。
そばに布海苔が使われるようになったのは、いつ頃、誰が何処で始めたかは、諸説あって定かでないようだが、何れにしろ、織物の産地から生まれたことは相違なさそうだ。
牧之庵にも、どこからともなく、そばに関する様々な問い合わせや、評価等が聞こえてくる。
ある人は「布海苔を使わないそばなんて、そばじゃない!」、「越後に来たら、何が何でもへぎそばを喰わなきゃ」等々、またある人は「折角のそばの香りが、布海苔のお陰で台なしだ!異様にツルツル、シコシコでそばと言うか、うどんと言うか?」双方両論相譲らない。
でもこれって、各々の好みの域だから、両者相身互いだろうね。
へぎそばが好きな人もあろうし、布海苔が嫌いだって人もいるだろう。
だからといって、そば粉三昧が「通」かといったら、そんなことも言えないんじゃなかろうか?
食域が多様化して、オリジナリテーが目を引く昨今、「こだわりだけの通」は、変わり者化してしまった。
さて、牧之庵の親爺は?商売だから「中間派」とでもしておこうか?
偶にお客さんからの問いが、「牧之庵さんは、繋ぎは何を使ってますか?」「海藻の臭いがした様だけど、もしかして布海苔?」「何割そばですか?」等々。
そんな時は決まってこうお答えする。「家の蕎麦は限りなく十割に近いですが、まあ9割くらいのそばでしょうかね。繋ぎには小麦粉と、3年以上経った古い布海苔を、水の様に薄く溶かしてそばの邪魔にならないようにしています」と。
僕が思うに、特別に動物的な嗅覚、感覚をお持ちのお客さんには、布海苔が邪魔して居るのかもね。
ただ、布海苔は熱湯に溶けやすく、香りも強まるから、そば湯を召し上がってから始めて気が付く人もあるかもね。
そば屋は、それぞれがその店の持ち味、その店(親爺)の好みで決まってくる。
好むと好まざるに関わらず、お客様の選択肢、その店の味と、お客様の感性嗜好が一致して始めて「旨い」、「好みの味」ってことになるんだろうね?
山々も色付き、そばが旨い季節、新そばが出回る時期だ。
今は亡き、杉浦日向子女史が綴っていた「もっとソバ屋で憩う(新潮文庫)」の一節。
「グルメ本ではありません。おとなの憩いを提案する本です。ソバ好きの、チョイとばかり生意気なこどもは、いますぐ、この本を閉じなさい。十年早い世界ってものがあるんですよ。・・・・・・・略」
「もっとソバ屋で憩う」、ソバ屋にとっては、いい響きだ!自分なりの「通」でありたい。