※権利だけを主張する前に人間としての義務を果たそう
昨日のブログで、少し書き始めたが巧く言え表せずに体裁良く止めたが、今朝の我が家で愛読する朝刊に、作家の曽野綾子さんが識者インタビューで語っておられた。
さすがは物書きの頭脳、気持ちよいほど的確なアドバイスだ。
記事は切り取ってスクラップブックに保存した。
ちょいと失礼、要所を抜粋して御紹介したい(読まれた方は失礼さん)。
以下、抜粋記事
私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。
・・・・・・・・・・「欲しい」と思えばなんでも手に入る社会は、異常社会だ。・・・・・・・政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはありえない。・・・・・・・・政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている。
震災後、政府の不手際や、東京電力の失敗はあったかも知れない。しかし、犯人捜しをしても仕方がないことだ。現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向かって歩き出せない。
そうした時代を生きる私たちは、国家やシステムを疑い、それにあまり依存しないことだ。・・・・・・・・・最後は自分で自分を助けることができなければ、人間としての義務を欠けると考えている。国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。めいめいが自分で考え、行動する癖を身に着けることだ。それは他人の傷みを部分的に負うことでもある。被災地の支援も国家に頼るのではなく「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。出さない人がいてもいい。だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ。・・・・・・・・苦しみに耐えてきた人たち、耐えることができる人は美しい。人間は本来、苦しみに耐えるようにできている。ところが、今の子どもたちは欲しいと思うものを何でも与えられて育った。子どもにも耐える体験をさせることが大切だ。・・・・・・・・・この世にあるもの、起こることは意味があると言うことだ。今回の事態から何を学か。一人一人が考えることだ。(以上抜粋記事から)
異論のある人もおられると思うが、御紹介まで。
この教えを頭に置いて、連日の関連報道を見ていると、別の角度からものが見える。
今、原発危機で放射性物質による汚染が心配されている。直接の震災地ではなくて、拡散汚染の被害地(もしくは心配される近隣地域)の野菜等の報道を見ていると、補償問題が特にクローズアップされている。
いや米の作付けができなくなったらどうしよう(補償して貰わなくては生活できないとか)、風評被害で売れないから(これも補償)、出荷制限が掛けられたから・・・・・こいつも補償、マスコミも煽り立てて報道する?
なにも生産者だけが被害を被ってるんじゃない。僕も農家でもあり、蕎麦屋でもある。
だから身をもって経験した。風評被害はいやと言うほど味わった。
たかが8年の営業期間に中越地震、中越沖地震、加えれば今回の東日本大震災も比でもなく悲惨だ。
そう、何も生産者だけが被害者じゃないんだね。特に観光業、飲食業(サービス業)等は死活問題なんじゃよ。お客様が来ない上に、材料が無い、電気が、灯油が無い。でも、自分の責任で処理してんのよ。この手の業種の人たちはみんながみんなね。
政府の甘やかし、補助金の垂れ流しでマンネリ化してしまったんじゃね。子どもたちどころじゃないよ、大人までこの調子じゃ。歪曲した権利だけを主張する?
もう一度、読み直そう「欲しいと思えば何でも手に入る社会は、異常社会」「この時代を生きる私たちは、国家やシステム等にあまり依存しない」「最後は自分で自分を助けることができなければ、人としての義務を果たせない」「国家がすべて何とかしてくれると考えるのは違う。自分で考え、行動する癖を身に着けることだ」
もう一度「原点に帰って考え直そうか、犯人捜しは止めて頭を冷やそうか、権利だけを主張する前に人間としての義務を果たそうか、子どもや孫等に他人と自分を助けるのに役立つ力が持てるよう、誠の愛で心身を鍛えようか」