※御神廻(ごじんかい)
2023年(令和5年)4月30日の事
↑ 我が家に入る行列の御一行、雨具を着けて村内を廻る。真ん中でお宮を担ぐ白装束の4名、お宮もビニールで覆われて先がよう見えんぞや!精進の悪い村じゃのう。
前回(2011年・平成23年)の御神廻は「東日本大震災」、今回は「新型コロナ」の5類感染症への移行前、一段落した感じだったとは言え、初体験で未知不明の状況下だった。卯年に発生した訳ではないが、これまでの進捗状況は卯年に関連ずくめだ。
それとね~、此奴にはかなり仰天した。あの「能登半島地震」、震災日が元旦だったんだよね。もう一日早かったら卯年に被ったことになったんだね。こんな認めたくもない憎らしい話だが、また卯年だったらと思うとビクっとするよ。
12年に一度、卯年「御神廻」で厄払いをしてきた御仁にしてみれば、「卯年」って何なんだ。認められない許しがたい現実の出来事に「卯年祭り・御神廻」を重ね合わせると、ここまで歴史を積み上げてきた先人たちの努力が手に取るように解る。
今の若者「こんなこと言うと(若い老害)といわれそう?何言ってんのよ(錆びた老害よ)」ってか、「いや、時代が違う!このご時世に神頼みなんてバカげているよ!。現実離れも甚だしいよ!」ってね。それも若者じゃないから余計深刻なお話。
先人、先祖、先輩、親方、先生等々、まして両親までもないがしろにする。自分は一人でここまで来た、自分さえよければの自己中人間が、ある年代層から急激に増えてきた。これって外来種?だれがどこから持ち込んで、放し飼いしたんだろ?黙って見てれば、ホントに恥ずかしいほど。放し飼いで育つと家の温もり、人の情、人間社会のルールや協調性をもって動けないんだね。立ち位置を変えて反対側に立って眺められない片目のジャック。これじゃ御神廻で疫病神は払えないよ。またまた脱線しだしたから、先っぱしりは止めとこう。
お後がよろしいようで・・・・・・・そんじゃお話は本題に。
↑ この雨具姿・・・・・・楽しみにしていたのに残念。 樽神輿をしっかり担ごうよ。チビッコたちは大張きり。雨なんかぶっ飛ばそう!↓
我が家の前でも一煽り↑ ワッショイ! ワッショイ!
↑ 立出セレモニーを終えて「お廻り」、全員防雨姿の行列だ。
さて、この日は朝から最悪のコンディション。これまで、4回も経験したが、雨天は今回が初めて。「さて、天竺までにも見下されたか?」
小雨降る中、集落センター前で祭典セレモニーの出陣準備、雨合羽を着て始まった。
神楽が雨の中で先陣をきった。
お廻り開始、露払いを先頭に決められた順に行列開始。
チビッコ達も雨具を着けて「樽神輿」を進める。
行列は、集落の各々の家を廻っても20戸足らずだが、厄を払って廻る。雨の中、休憩もしないで2時間弱で廻り終える。
集落センターを出発して、集落を廻り終えた一行の最終場所は大神宮様を収める神社。
祭儀を済ませて、村内全員(お客さんも含めて)で記念撮影。雨も止んで、何とか写真撮影はできた。
本来ならば、これから神社境内で祝宴会なんだが、残念ながら雨のため外での祝宴はできない。やむなく、集落センターで執り行われた。センター内に全員の収容はできないので、外に仮設の宴会場を設置し双方を使ってのやむなし会場。いやはや、今回の御神廻は、準備期間から本番、締めの宴会までハプニングの連チャン。
それでも、振り出しからトラブル続きの、危ぶれ御神廻が無事終えて、この村の厄が払えただけ良かった、良かった。
人生、最後の御神廻を見れただけ、本当に良かった!
さて、この次の・・・・・・・なんてお話は、ボケ爺の領域外。「成るようにしか成らないよ」、この場に及んで、もう遅すぎ、ご愁傷様でした。
我が家の厄を払ってくださる。「大神宮様、申し訳ございません。今回は内宮にご挨拶にも参りませんで。お許し願ってよろしゅうお頼のう申し上げます」お許しを請うて厄を払って頂いた。