昨日の大掃除に初めて開けた一体のお宮から出てきた諸国巡礼の納経帳(宝印帳)、行く先々の神社仏閣の納経所で納経帳にご朱印を頂いた帳面だ。
昔の漢字で、小生には判別できない文字もあるが、わからない文字は現代用語で推測してみた。
奉納 維持天保二辛(年)卯年
諸国神社仏閣納経帳
霜月 吉祥日
越之後(越後) 南魚沼郡上田庄 中子新田
願主 富右衛門
とある、天保二年(卯年)の霜月(陰暦11月)に旅を終えて納めた納経帳だろう。
僕の生まれた当時の住所は「新潟県南魚沼郡中之島村大字大木六新田」だから、当時は上田之庄と呼ばれていたのか?集落名が「中子新田」とある。実は、これは現存する隣村の集落名、我が家はこの隣村から分家した。と言うことは、分家した当時は、我が家の在所は隣村に入っていた事になる。
富右衛門(とみえもん)とは、我が家の屋号なんです。
この、納経帳なるものをめくってみると、先祖が旅した足跡が見て取れる。これとは別に旅日記なるものも見つかった。何時何時、何処に行って、どこそこで宿を取り、宿銭をいくら払い何を買ったとか、事細かに記してある。時間を見つけて足跡調査をしてみたい。
ちなみに、巡礼ヶ所を幾つかご紹介してみましょうか?
これは、日付からして帰路のコースらしい。信州佐久の八幡宮で八幡宿に泊まったらしい。もう1ヶ所は信州一宮、諏訪大社だ。
順不同だが、僕には読めない字も多い、調べるにも時間が掛かりそうだが、何か興味を誘う。ゆっくり時間を掛けて解明してみたい。先祖の巡礼の足跡だから。関係ない方には、全く面白くも何ともない話で恐縮。