この大型連休を利用して、この近辺集落では十二年に一度、卯年の年に催される「御神廻」が盛大に行われた。
当集落は通称「古川」と呼ばれるが、戸籍上は「大木六新田」称し、二十軒ほどで小さな村を形成している。
旧塩沢町(現在は平成の大合併で南魚沼市)は、昭和31年.32年に4町村(塩沢町、石打村、中之島村、上田村)が合併して新しく塩沢町が誕生した。
魚野川を挟んで川東一帯を中之島地区と称し、我々が現住する地域だが、紹介する「卯年祭り」は、主にこの地域で昔から「卯年の年」に催される厄払いの奇祭である。
その旧中之島村を形成してきた20ほどの集落が村の大小を問わず、この「卯年祭り(御神廻)」を継承して今日に至る。
不幸にも、この卯年に東日本大震災が起こってしまった。
あまりの大震災のため、この祭りを行うべきか(お伊勢参りに行くべきか)どうかと、それぞれの集落で真剣に検討されたが、こんな年だからこそ本来の祭り発祥の趣旨を鑑み、殆どの集落で催された。
集落によっては余興を自粛したり、規模や内容を変更したりはしたが、その殆どの集落は、逆に元気を出して厄を払い、今回の震災復興をともに祈願した祭りとなった。
祭りの主神は「伊勢神宮」、「皇大神宮(内宮)」、村の鎮守様の祀神である。
我が集落では(かなりの集落でも)、この祭りに先立って本宮詣(お伊勢参り)を計画(4月11日)し、神宮大麻(お伊勢さまのお札)をお受けしてきた。
(上段の写真は内宮への入り口、五十鈴川に架かる宇治橋の大鳥居をバックに記念写真)
宿泊先のホテル(鳥羽シーサイドホテル)前で記念写真 一行はこの先お伊勢参りに向かう
大麻(お神札)は、内宮神楽殿(ないくうかぐらでん)で特別にお祓いして頂きお受けします。
雅楽が奏でられる中、神前に御神札(おふだ)と(みけ)が供えられ、祝詞奏上、典雅な舞が棒げられる。
皇大神宮(内宮)では、正面左側の御垣通路を通って中に入り、特別参拝をする。
卯年祭(御神廻)に供えて、お伊勢参りという前行事が無事終えた。卯年祭りはこの後20日後に控えていた。