牧之庵から閉店の御挨拶 御案内の通り、牧之庵は「令和元年(2019年)8月15日」をもちまして完全閉店となりました。      お客様に支えられて17年間、誠に残念では御座いましたが暖簾を下ろすことになりました。 これまでに賜りましたご厚情を心より感謝申し上げ、謹んで御礼の御挨拶を申し上げます。本当にお世話になりました。幸か不幸か、牧之庵の閉店の翌年から新型コロナが現われ、5類に移行したとは言え未だ終息の気配がありません。そんな中で、ロシアによるウクライナへの侵攻、パラリンピックが始まったばかりの日本だったのに、未だ終わりが見えません。どうなってしまうんだろう? 強権的独裁者の出現は国連の機能不全を生じ、中東でも戦禍を被り続ける。不安だね~怖いよね~.   そんな不安定な情勢の中で、新年度は世情安定を祈りつつ迎えたかったが、正月早々から能登の大地震。別件、近況は自民党の裏金、派閥問題で大騒動。兎に角、能登だけは、何があっても最優先、一時のロスタイムは許されないぞ! 先ずもって、この度の「能登半島地震」に遭われた能登の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。       お亡くなりになられました多くの御霊に謹んでご冥福をお祈り申し上げます-合掌ー   トップ画像を替えました。これは、我が家の裏の畑でトウモロコシ(2回目)の種蒔きをする孫. 題して「ジジとトウモロコシの種をまく孫(小学2年生)」2022.5.29の写真をつかいました。

閉業後の「今日の庭・今日の花」            (2019年・2020年のこと)(4)

※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

      「今日の庭・庭木の管理」

  2019年・2020年画像に残る庭園のこと

 

☆2019年の庭先

(写真)左の高い木(イトヒバ)に梯子が掛かってる。上に登って選定作業中。

          ↓ (2019.6.19 撮影) 

      上の写真2枚は、庭木の選定、刈り込み作業中 ↑    

 

  家の縁側の前、二階から撮影 ↑     (2019.6.21 撮影)

裏の楓(カエデ)、整形は去年の秋に徒長枝を剪定済み。葉っぱが綺麗に出揃った 

☆2020年の庭先

裏の池まわりは、雑木主体の植え込みになっている。雪国特有の「冬(雪)囲い」が不要の自然の庭。植えてある樹木も「カエデ、ヤマボウシ、シロバナタニウツギ」等。

          (2020.5.15 撮影) ↑ ↓

 ↑ 雑木に混じって咲く花は「ウツギ類(ヒメウツギ、梅花ウツギ、白花タニウツギ、俗にウツギを代表する白花のウツギ、紅花梅花ウツギ:マジシェン)、ヤマボウシアジサイ、タニフサギ、ツバキ、ムクゲユキヤナギ」など。  ↑

           (2020.5.15 撮影) ↑ ↓

           (2020.5.15 撮影) ↑ ↓

牧之庵を閉めても、内外に問わず特別の変わったことは生じない。このテントだが、閉店しても変わらず張り続けている。前回のブログで、閉店後のお家(牧之庵当時の店舗)のことを記してきた通り、野外でも特別な変化はないんだよ。何じゃない牧之庵を開業した当時の姿そのまま、何の抵抗もなく昔に返っただけ。だから、テントもそのまま、すべてそのままなんだね。牧之庵開業当時は、こんなテントは張ってなかったが、大きな日傘を立てていた程度なんだけど、やることは何の変わりもないんだね。

           (2020.5.15 撮影) ↑ 

ジッチャマは一般家庭の庭園に関しては、相当うるさいらしい?長くなるから次回にするよ。勝手なホザキ、次回ちょっと見てよ・・・・・・・・・・・・・・・・・。 

真っ先に、忘れず春を知らせる伝令者

春一番の花「ミズバショウ

 

           (2024.3.29 撮影) 

卯月に入って庭先の流れの中で「ミズバショウ水芭蕉)」が花盛りだ。通常はまだ残雪があり葉先が押しつぶされた状態で花を開くんだが、今年の春は雪が全くない状態で芽を伸ばして此所まで、何の障害もなく自由に育ってきた。

 

ミズバショウ水芭蕉)」

通常、花と呼ぶ白い部分、実は花じゃないんだね。包み込むように開く純白な部分は仏炎苞(ぶつえんほう)と称する葉っぱが変形したものだそうだ。花は苞の中央部分(上の写真参照)に小っちゃなブツブツをいっぱい付けた円柱状のもの。小さい花がいっぱい集まった「花序(かじょ)」と呼ぶものが突っ立っている花の集合体。バショウ(芭蕉)って呼ぶが、イトバショウの葉っぱに似ていることから由来されたそうだ。

           (2024.3.29 撮影) 

過去のブログでミズバショウ水芭蕉)と検索すると20件もの記事が出てくる。それほど春一番に開く純白の花(苞、ほうほう、そうかい?ほうかい?)の存在価値が高いって事かいね。

            (2024.3.29 撮影) 

ブログって便利なんだよね。こうして写真整理をしていて、この水芭蕉の10日後、2週間後、今月の末頃の花の状態を観察中、その推移する様を写真に撮って、追加で貼り付けられる。忘れなかったらやってみようかね。

疼き出した「お出掛け依存症」、業を煮やして前橋へ

※三回目の「道の駅・まえばし赤城」へ

       3月30日(日曜日)の出来事

   もう「道の駅」じゃないよ!お出掛け、観光スポットに変身

「春に三日の晴れ無し」辺り一面の雪は全くなくなって、ジッチャマは一週間程前に冬タイヤを履き替えた。続いて春先のルーチンワーク、雪(冬)囲いの撤去に仕掛かったが連日の小雨日和で業を煮やした。

外仕事を中断された「お出掛け依存症」の雑事様とババ様、常套手段の「ジジどっかに行こう?」。声を掛けられたジッチャマも内心歓迎の含み笑い。チビ達を連れ出そうとしたが、今日は両親がお休み日だったんで諦めた。

さて出発して「どっちに行こうか?」、国道に出て「右折は長岡、新潟方面」、「左折は群馬、東京方面」。ここの交差点で行く方向だけが決まる。後は走りながら「どこどこに行こう」と、最終目的地がドライバーに告げられるって訳よ。

ジジの頭の中では、聞かずとも分かっていた。何処かに行こうじゃなくて、此所なんだって左折したときから了解済みよ。

100キロ以上だと「塩沢石打IC」に向かい高速に乗るんだが、今回は「道の駅まえばし赤城」に絞られた。そんなら下道直行、三国峠越えで110キロほどを走る。

結果的に左折して正解だった。出発時は小雨が降っていたが、群馬県に入ったら小春日和、快晴ほどの天気になった。

最近になって、国道17号線に道の駅の案内看板が何カ所も設置されて、近づくとナビが不要なほど道案内をしてくれるから便利になった。最初に行ったときは、古いナビだから行き先のデータを入れてもスムーズに案内してくれなかった。だから、国道沿線に「道の駅まえばし赤城」の信号機付きの交差点があることすら知らなかったが、今回は直前の交差点から進入して直ぐに駐車場に入れた。いや、ともすると?オープン時にはもう有ったのかもしれないね。ボロナビだから途中で脇に案内されて、正規の道順で行かなかったかもね~。

あれだけ広い駐車場も満車状態。探していると大型車の駐車スペースはガラガラ、仕方なくそこに止めた。↑ 僕らは3回目の出掛け先だが、行く度に駐車が多くなってる。周知されてきたから、まもなく「川場村」状態か、それ以上の混雑は直ぐそこに見えている。こんな道の駅、見たことない。100キロ走っても、その価値は余りある。

お昼時間は過ぎていたが食事処はごった返し、なんとか食に有り付いた。有り付いたじゃないんだね。主目的は食にありだよ、何たって前橋、赤城を代表する名店の出店、ラーメン、イタリアン、うどん処、アカギメシ、赤城の福豚、野菜を使ったレストラン、群馬名物(焼きまんじゅう、もつ煮、コンニャク等)を食べさせる店、喫茶、甘味処とホントに何でも有りだよ。それとて行列店のお店が、人気店のお店がテナントに入ってる。我が家のお出掛けスッポット第1位は「道の駅まえばし赤城」にお決まりかな? チビ達を連れて行ったも、これまた大好きな「ふわふわドーム」が待ってるんだよ。これからは、左折コースが大流行かもね~。

食事をするために「フードコート ラウンジ」と称される場所に行ったが、も~~う満席、屋外にも席が設けられているが、そこも満席、空席を待ったいる状態だ!

参ったな~。昼食の時間を過ぎての現状、諦めモードで外に出ようとしたら、入り口付近にレストランらしき食事処が?半信半疑で入ったら?奥に空席があるらしい。

案内を受けて、やっとの事で食に有り付けそうだ。早速、オーダーしたんだね。

ジジが選んだのは「ソースカツ丼」、地元特産「赤城の福豚」と称されるポークを使用したメニュー。トンカツが3枚入りと、5枚入りのメニューがあるが、おいらは3枚コースをオーダーした(写真上)

写真下はババがオーダーした「名称は不明だがセットもの」

小皿10品、雑穀米の御飯、お味噌汁、ババは余り多い品数とボリュームに食べる前から後退り。上の写真で(上から)茹で卵の半割、汁物、御飯(雑穀米)、刻みニンジン、湯がき菜、福豚のトンカツ、福豚ロースト、玉子とじ、湯豆腐、コンニャク玉、メンチ玉揚げ、大根の紫蘇漬け。地産地消、地元の特産物を使ったセットメニュー。

福豚が旨い!柔らかいお肉、ホントに柔らかい旨い! でも、これだけ食べたらお腹がいっぱい! ジッチャマが食べ終えた頃、ババが「こんなに食べられない、ちょっと助けてよ」、トンカツとメンチ、ローストをジジのお盆にのせた。でも、美味しいんで遮二無二食べた。も~~うお腹いっぱい!だけど旨かったな~。ババも感激したみたいだよ。

かくして、「どこかに行こう?」が・・・・・・・・。そうなんだよね~。

閉業後の「今日の庭・今日の花」                (2019年~のこと)(3-1)

※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

2022年(令和4年)画像に残る庭先のこと

      「ブラックベリー

我が家の前に弟が育てているブラックベリーがある。4、5年前に苗を分けて貰って育ててきたら、3年前頃から実がついて、一昨年から本格的に収穫できる程になったんだね。余り採れすぎて処理に困るほど、どう仕様もなくなって専用の冷凍庫を新調したんだ。ところが、昨年は大収穫で入りきれないほど。残りは無理矢理ジャムを作ってボリュームを落として瓶詰め保存だ。イヤ~、このままの状態で推移すれば今年はパンク!

処理に困っちゃうよ。

            (2022.7.16 撮影)

           (2022.7.16 撮影)

            (2022.7.16 撮影)

(2024.3.31 撮影) 

冷凍庫で保存するブラックベリー、今年の収穫期までに処理し切れないと、今年度産が保存できない。右上の写真は、冷蔵保存した瓶詰めのジャム。これ以上のお裾分けはゴリ押し、強要罪で訴えられるよ。アルコール漬けも限界だ!需要と供給のバランスが崩れちゃた!

☆参考までに「過去の記事の貼り付け」(2009年7月25日の記事) ↓ 

bokusian.hateblo.jp

 

閉業後の「今日の庭・今日草花」                   (2019年~のこと)(3)

※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

2022年(令和4年)・2023年(令和5年) 

      画像に残る庭先の花たち

 

2022年(令和4年)    ミズバショウ」↓

          ↑ (2022.3.30 撮影) ↓

         小川(流れ)の縁取りに小石をあしらう 

  「スミレ」↓

           ↑ (2022.4.25 撮影) ↓

 

  「プリムラ」↓

           ↑ (2022.4.25 撮影) ↑

 

 ☆参考までに「過去の記事の貼り付け」↓ (2012.5.1の記事) 

bokusian.hateblo.jp

 


2023年(令和5年)    「藤の花」 ↓ 

          「藤の花」(2023.5.7 撮影) ↑

      「白花の競演(ウツギヤマボウシ・池の縁はカラーの花)」

    上から見下ろすヤマボウシ↑ (2023.5.23 撮影)

閉業後の「今日の庭・今日の草花」                  (2019年~のこと)(2)

 ※その後(廃業後)の庭先はどうなった?

        2020年、画像に残る庭先の花たち

            (2020年5月15日 撮影)

   レンゲツツジ(馬ツツジ↑      レンゲツツジシャガの花 

  満開のの花    池の縁のリュウキンカもまもなく黄色の花を魅せる ↑

 

 

       ヒメウツギ ↑        サクラソウに背後はコデマリ ↑

春先に屋敷周りの大木を伐採した(手前の切断木は薪用に親戚の家が持って行く)  

「ちょっと俺様の前で美観を損ねるよ!」白花の平戸ツツジが睨んでござる。

 

最盛期に比べたら、見る影もなくなったオダマキ、殆どが西洋オダマキだ。数多くの種類が育っていたが、今や消滅して僅かに残っている程度だね。

         (2020年5月15日 撮影) ↑ ↓

今やこの種類のオダマキが勢力を伸ばし、あちらこちらで縄張りを拡大してる 

植物の世界も、中東のどこかと似ていて不思議なお国だ。(1)で記した様に「ホタルブクロ(蛍袋)」と同じで同族(同属)、縄張り争いの強い世界なんだね。勢力の強い品種、争いに勝ち残った種属が生き延びている。種子がいっぱいできるので繁殖力は旺盛なのに不思議だね。仲良く生きられないから、ちょと寂しいね。

中央斜めには小川の中にミズバショウの葉っぱが繁茂、その周辺にはピンクのツツジ類が満開だ。中央付近の白い花はオオデマリ

閉業後の「今日の庭・今日の草花」               (2019年~のこと)(1)

※その後(廃業後)の庭先はどうなってきた?

    2019年(令和元年)画像に残る庭先の花たち 

       

庭先の春はミズバショウの可憐な白い花から始まる

その年の春先の寒暖、残雪の多少には余り影響を受けないで、いち早く春を告げる

                      (2019.3.17 撮影)

ミズバショウ」の花が咲くと「ああ、春が直ぐそこまで来ている」と、気持ちも春が訪れ、明るく柔らかく温かくなってくる。

 

やがて、若葉が萌えツツジが咲き、地上ではシャガ」が清純な白い花を魅せる ↓

 朱色の花はレンゲツツジ、当地では「馬ツツジ」と呼ばれている。

            (2019.5.14 撮影)↑ ↓

シャガ(射干)が花を咲かせ、全開となると夏の臭いが感じられる ↑

 

蛍と「ホタルブクロ(蛍袋)」、夏を知らせる初夏の花。蛍とゼットの魅了の花だ ↓

             (2019.6.22 撮影)

過去のブログ記事にどれ程登場願ったことか、庭先には幾種類もの「蛍袋」が育つ

色は白色と紫色、花は一重と八重がある。八重の花は改良された園芸種。こいつらは、縄張り意識があって、勢力の強いものが周りを制圧する。右上の画像に白の花が3個ほど見えるが、やがて紫に陣取られて退化するだろうね。     

           (2019.6.22 撮影)↑ ↓

花弁を見ると、白色が寸胴型で紫色は細長型、一般の野生種は下の種類が多い。白色も紫色の花も、混植のためか、両方の形状がある。花の形状も八重と一重、寸胴と細長、どちらの色にも、双方の特色を表すんだね。ホントに観察してると面白いんだ。

 

牧之庵、廃業後の大仕事(3)

※次は、一般住宅への復元工事

    2021年(令和3年)のこと

 

牧之庵廃業の翌年(2020年)に、母屋の塗装作業をしたことは、前日のブログに綴った通り。次に待っていたのは「店舗を一般住宅に戻すための復元工事」なんだね。翌年の春から早速、店舗として改造して使っていたエリアの解体作業を着手したんだ。

解体前の白壁に落書きをするチビッコ達 ↓

この部屋は、客間と厨房の間にあり居間として使っていたんだ。和室を洋間に改造する事になっているので壁はジッチャマが解体する。新型コロナストレス対策にと、チビッコ等に解放したんだね。チビッコお得意の壁画、喜んで大作に挑戦だよ。

                       (2021.4.2 撮影)

☆さていよいよ解体が始まった         落書きした壁もなくなったよ ↓

                      (2021.4.30 撮影)↑  

 居間から厨房をみる。内装材を剥ぎ取り撤去、それぞれの仕上げに沿って作業をする。厨房機器も殆ど片付き、後は専門職にバトンを渡す。

         こんなに綺麗に出来ました(2021.11.27 撮影) ↑

全く関係ない戯れ言。上の画像はテレビで大相撲が映っているね。この写真を撮った日付から調べたら(ホントに暇なんだね!)2021年11月場所(九州場所・福岡国際センター)だったよ。11月14日~28日まで、この日は11月27日だったから、14日目だったんだね。ちなみに横綱照ノ富士が全勝優勝していたよ。(ひま~~~)

14日目って土曜日だよね。チビたちがDKで何か食べてる。ババが何かしてる?。手前のテーブルには黒い器が?これってジジが使ってる焼酎のお湯割用なんだ。ジジは芋焼酎を頂きながら相撲観戦だね。

上部の棚も取り壊し、天井を含み内装を剥ぎ取る。厨房は機器や小間物が多くて、片づけ処理も大変なんだ。フライヤー、シンク、調理台などはリサイクル業者が引き取る。

厨房、居間は「ダイニングキッチン・リビング」になるんじゃそうだ。床はフローリング、二重サッシに二重ドア、断熱処理をして全部洋間に生まれ変わるんじゃと。ジジの仕事は4月中に解体を済ませ、5月の連休明けに専門業者に渡す。お盆までに、他の工事も全て完了させる計画なんだね。イヤ~もう、雑事様も雑事続きでご満悦。

 

☆居間の解体 ↓

   ↑ 作業前 (この間はリビングになる) 畳を剥ぎ取り、洋間に変わる 

 

   厨房から居間を見る。手前が「ダイニングキッチン」奥が「リビング」に 

この度の「復元工事」に併せて、子供部屋の新設(二部屋)、和室の改造をすることになっていた。子供部屋を二部屋作るに当たり、一つはジジがこれまで使っていた部屋を開放して改造する事になったんだね。だからジジは、どこかに隠れ家を探さなくっちゃ!そこでジジは奮起した。「よっしゃ、そんならば自分で作っちゃおうか、今流行のDIYとかで?」 隣り合わせで、使っていない和室がある。8畳に3畳+押し入れのついた部屋。隠れ家にしては広すぎるが、空室はここしかないんだね。お姉ちゃんは、昔の応接間(8畳)を改造して使い、チビ助がジジの隠れ家(6畳)を使うそうだ。店舗関連の解体作業を終えて、二階のジジの隠れ家を解体し、お姉ちゃんの部屋に予定されている昔の応接間の一部解体をして全部終了。

最後に、ジジは自分で使う「隠れ家」の改造に仕掛かった。

ジッチャマ「DIYによる部屋の改造」 和室をフローリングに壁をクロス張り ↓ 

                         (2021.4.10撮影)

今始めているこの部屋は、8畳の日本間、3畳(フローリング)の広縁と押し入れがある。これを、和洋折衷の日本調の部屋に改造。畳はフローリングにして、壁は断熱材を下地に張って、クロス張りにする。フローリングの下に断熱材を張って気密を高める。押し入れは、クローゼットに作り替える。

上の写真は、既存の白壁の上に桟木をつけて、その間に断熱材(青色のスタイロフォーム)を張った状態。この上にクロス張りの下地を張る。柱と回り縁、長押は露出させるため、壁と前面の寸法の関係で、石膏ボードは使えずベニヤ板を張る(写真下の壁面)

写真の状況は、床の作業。畳を剥ぎ取り既存の床の上に防湿気密シートを貼った状態。シートの継ぎ目は気密テープで接合(写真)。その上に貼る根太が置かれている。定寸法に配置された根太の間には、断熱材が入る(壁に貼った要領で)。その上に、フローリングを貼るための下地(ステ貼り材、コンパネ)を貼り、最後にフローリング材で終了。ジジは、このDIYを完璧に仕上げるためにYOU TUBEで懸命に学習したんだよ。

 

クローゼットの扉は、インターネットで訳あり品をゲット、ビックリするほどの安値で手に入れた。 ↓    

訳あり品でゲットしたクローゼットの扉   訳ありとは右上の傷 ↑
黙っていれば全然気づかない。こんな傷、補修は簡単なんだけど気にならないから放りっぱなし。ちょっと値のはる物で、タイミング良く当たればお買い得だよね。

牧之庵、廃業後の大仕事(2)

※先ず手始めの「母屋塗装作業」の成果は?

      2020年(令和2年)の出来事から

         (3月25日記事の続き)

 塗装作業の奮戦記は前日記事の通りだが、この年(時期)未曾有の暑さ(熱さ)との戦いだった。わざわざ、そんな時期を選定して実施した危険を伴う高所作業、施工計画の甘さを指摘されても仕方なかっぺ。そんな悪条件の中、雑事様は「何だってんだい!この程度の暑さが」ってな事で、ものの見事に塗りあげちゃったとさ。

 

この入母屋のスレートに塗装をするのは、2014年(平成26年)以来2回目。初めてじゃないので手順は熟知しているんだね。だけど、お年を召しておられるから、こんな高所作業は危ないから「気を付けろ!安全第一」、ちょっとは暑さが和らいできたらしく、掃除を始めた雑事様。(2020年の晩夏~初秋)

下の写真は、雑事様の仕事の成果なりよ、どうです、綺麗に仕上がったでしょう? ↓

通常の足場では対応できない入母屋、しゃくれのついた屋根勾配、軒下の細かい垂木と白色の塗装は庇との間隙が狭いので、庇の屋根(ちょっとだけ雪がある場所)に寝転んで塗装するんだけど、イヤ~もう窮屈で大変な作業なんだね。やる人にしか分からない忍耐との勝負。大屋根の天辺(ぐし)には、細かな模様が施され、その隙間には鳥の巣(スズメやムクドリ)がいっぱい、その掃除も大変な作業量なんだね。綺麗に掃除した後は、細かな部分のペンキ塗り、想像以上に目には留まらない部分の作業がいっぱいあるんだね。こうして仕上がった姿を見ていると、作業の重大さが手に取るように分かるから、余計に素晴らしく見えてくるんだね。凄く素晴らしい仕事、完璧だ!

妻側の部分も、入り込んだり細工が施されたりで、塗料も鬼瓦、妻(三角形の部分)の化粧貫、白ペンキと、この部分だけで錆止めを含めて5種類の塗料を使う。大屋根の軒下も、細かく化粧垂木が入っていて、白色(漆喰に見せるため)の塗料で仕上げる。黒っぽい壁板は「キシラデコール」という防腐剤で、2回の重ね塗りをする。

全て終了して足場も撤去された。雑事様が一人っきりで完了させた大仕事。専門業者じゃないから儲けはいらない。手間は自由で際限なしだから、完全に錆や不純物等を掃除し下地補修もして、塗料は良質なものを使って丁寧に仕上げる。これで自分が納得出来る仕事ができるから、文句のつけようがない。だから、素晴らしい完璧な仕事よ。

全てが終わって足場を解体。我が家常連の工務店からリースした足場材料だから、綺麗に掃除して返品。半年近くも掛けっぱなしだったから、少し錆が出ているところもあったんで、錆を落として錆止め剤も施した。返品中の足場材、此所に残っているのは半分くらい、こいつは全部、手積み、手下ろし、軽トラックで運搬だった。

年が明けて初雪が降った。雪中のペンキ塗り立て館は特段に美しい。新雪に照らされて輝きを魅せている。

牧之庵、廃業後の大仕事(1)

※先ず手始めは「母屋屋根.外壁の塗装作業」

    2020年(令和2年)3月~8月頃のこと

牧之庵の閉店が2019年(令和元年)8月15日。廃業後には待ち構えている大仕事(工事)が三つほどあったんだね。一つは「母屋屋根、外壁の塗装工事」、もう一つは「店舗から一般住宅への復元工事」、三つ目は「復元工事に併行して子供部屋などのリニューアル」だったんだね。

先ずは塗装工事。  雑事様がお一人でやるんだと張り切ってござったから、家族に身の安全が第一だと促され、注意勧告を受けての大仕事なんだね。

作業状況については、当時のブログで何度か記事にしたが、この年の暑さには予定を大きく狂わされた。外壁の塗装を終えて屋根に移ろうとした矢先、ものすごい暑さに襲われて、とてもトタン屋根には上がっていられない。フライパンの中に入ってるほどで、火傷をしちゃうほどだったね。やむなく中断、時期を遅らせての作業で予定を大幅に遅らせての終了。もう一度、足場の組み立てから戻って作業検証を。

これだけの足場材、4段の鉄枠を運んで、一段ずつ組み上げて、組払し撤去まで全て一人作業。仮受けも出来ないから、手間も掛かっちゃう。足場が終わって、いよいよ本番の外壁塗装。板材が張ってあり防腐剤が塗ってあるので、古い劣化した塗料をブラシで擦り落としブロアーで吹き飛ばす。今回塗る塗料は「キシラデコール」という防腐剤の二回塗り。下部に(庇の屋根、室外機など)垂れ防止をしてから作業に入る。壁面を塗りおえたら、出窓部分の塗装をする。この部分は出窓の木板枠、屋根の飾り垂木などの細工が施されているので手間が掛かる。これらの塗装が終えたら、最後に下部の庇屋根を掃除して下地に錆止め剤を塗ってから本塗装の二回塗りで仕上げる。折角、足場を組んで上部作業をする序でに、全ての部分の掃除や、スズメなど鳥の巣の撤去、コウモリのねぐら退治、白壁の補修、柱の化粧塗装なども施してから下りてくる。 

こちら(北)側は、一階右側から浴室(電気がついている)、厨房(台所に改造する)、トイレ、亡くなったおばあちゃんの部屋(改造してお姉ちゃんの子供部屋)、二階は牧之庵時代も居住スペース。残すは、屋根の塗装工事。だけど今は、あっちゃくて上がれないんだ!ちょっと休止じゃて。壁面塗装は完了、綺麗だね~。

さて、問題は入母屋の元客間の作業じゃよ! なんたって、入り込んで急勾配、どうして足場を掛けたらいいんよ? 思案の末「梯子戦法」、屋根添えにアルミハシゴを勾配なりに沿わせて作業することに。

ほれ見てくだされ!アルミのハシゴに上って、軽やかに前掃除をする若武者?だけど、この作業もたいへんなのよ。水洗いをして、錆び落とし、錆止め剤を塗って、本塗り塗装。おまけに、この時期は鉄板焼きにされちゃうような暑さ、熱さ、なんじゃったよ。塗装は刷毛塗り、振り返って「よう頑張ったね~、お兄さん?」ごもっとも。されど、夜には冷やし水がいっぱい要っただろうね。なに?そんなことないってか?

さてと、その成果は? 長くなったからネタ持ちと、勿体ぶっての先延ばし...??