早朝に今日のそばを打ち終えて、店先の流れの掃除をしていた。
「お早うございます。恵比寿様のお札です」と、今年最後の御神札が届けられた。
去年は、どうした訳か御神札が届けられなかった記憶がある。張り替えた覚えがないのだ。
そう言えば、以前同じようなことを行っていた人がいたので、おそらく何らかの不都合が生じたのだろう?
今日届いた「御神札」
以前のブログで「七福神」についての戯言を記述したが、この地方、特に農村は「恵比寿.大黒」はお祀りしている。
大黒様は、ずっと以前にお札は届けられたが、恵比寿様は今日お受けした。
実を言うと、去年の事があったから、今年もひょっとして?と思っていた。
先祖伝来、祀ってある場所にお札を納めないと違和感を感ずるのだ。
えびす信仰は、歴史が古いらしく、その経過も地方により、場所により様々に変遷を遂げて来たようだ。
農業の神、漁業の神、商業の神と、その領域は広いが、一般的には「商売繁盛の神様」としての信仰が高い。
当地方の恵比寿様は、兵庫県の西宮神社をお祀りする。
西宮神社
日本のえびす信仰神社3500の総本社だそうだ。
えびす信仰は「蛭子神」、事代主神、少彦名神というのがあり、本家をめぐって各論が争じられているようだ。
事代主神系のえびす社が突出して多いようだ。ちなみに、事代主神系のえびす総本社は島根の「美保神社」だそうだ。
末端の信仰者は、西宮神社も美保神社も関係ないこと。
世の中にはよくある話、人の世は、僧侶であろうが、宮司であろうが権力争いが常である。
事に宗教界は顕著だ。何々宗のどこそこ派とか、何々教と、どこそこ教、イラクという国なんかどうしようもない。連日の殺しあいだ。
「信仰」は自由だが暴力や権力の行使は自由ではない。
すべての神々がサミットでもして、「地球神」とでもして治めるなれば人間界は無理のようだ。
でもまた、「地球神」の仏教派、キリスト派、イスラム派等々で終始がつかないかもね?権力は、信仰心までも覆すか?
「信ずるものは救われる」、はてまた「信ずるものは襲われる」か?
何れにしろ我が家の神棚も、よろずの神々が祀られている。
師走に入って届けられる「御神札」も、時の権力者のお墨付き(版権)を得て、今日に至っている(ちなみに、西宮神社の御神影札は、四代将軍徳川家綱の版権お墨付きを得るとある)。
詳細を知り得れば信仰心如何ばかりか。
信仰心、我が心ありきか?